H社の新規事業開発室メンバーによる2泊3日の合宿がついに始まった。
伊豆高原にあるH社の保養施設は研修所を兼ねている。グループ全体で見れば毎年数百名いる新入社員の研修や、管理職候補者の研修の際によく用いられる場所だ。しかし、今回はプロジェクトメンバーに日比野・ナミを加えた7名しか来ていないため、ひどく静かである。
食堂のテーブルを3つ並べた島を2つつくり、そこに2つのチームが分かれて座った。
「さぁ、先週話をしたとおり、B2BのチームとB2Cのチームに分かれて検討を進めてください。安田と私は本社に用事があるので途中で一度失礼するが、夜には戻ります。そのとき、進捗状況を確認するので、ストーリーをまとめておくようにしてください」
「大げさじゃなく、これは社運を賭けた合宿だ。皆、大変だと思うが頑張ってくれ」
そんな2人の掛け声で、合宿はスタートを切った。
あすなは富永とともにB2Cの新規ビジネスを模索することになっている。
「あまり話したことないけど、よろしくな」
そう言うと富永は照れくさげに笑った。
「はい。お願いします」
「じゃあ、早速だけどSWOTの要素を出し合おうか」
あすなは、週末に榎田君とともに考えた分析結果を共有した。
意外なことに、社内の「強み」「弱み」を見つけるのは難しかった。以前日比野とやったときは、もっとたくさん思い付いたのに。
「会社の中にいると、見えないものが増えるのかもな」
富永のセリフの意味が、今のあすなにはよく分かる。
「さあ、ここからどうする?あすなの言うとおりに動くことにするよ」
経営戦略を考え出す手法は、もはや富永よりもあすなのほうが鍛えられていると言ってよく、富永は快く主導権をあすなに譲った。
「では、ここから、クロスSWOT分析をしましょう」
あすなは、クロスSWOT分析の図を示した。
「面白いな。要するに、外部要因と内部要因を掛け合わせて、できることを考えるってわけか」
「そうなります。『強み×機会』はチャンスも多いですが、競合も虎視眈々と狙っている可能性はあります。なので、『強み×脅威』とか『弱み×機会』といった部分でよい戦略が浮かぶとよいな…って思ってます」
「うむ…そしたら、まず『強み×脅威』を考えてみようか。僕は前からこのSDGsという概念にすごく興味があるんだ…ちょっと掘り下げてみたいね」
そう言いながら、富永は付箋とペンを手に取った。
「富永さんはずっとリフォームをやってこられてますもんね。最近は新築物件だけじゃなくてリノベーション物件もすごく流行ってるし」
勢いづくあすなの言葉を、不意に安田が遮る。
「…道草、ちょっと待て。それって本当か?」
「あれ、部長まだいたんですか?」
「今出かけるところだ。いいか、憶測でことを進めるな。俺たちが思っているほど、事実は素直じゃない。しっかりエビデンス(証拠)を確認しないとダメだ。リノベーション市場が本当に伸びているのか、データはとったのか?」
「…いえ、まだです」
「ちゃんと調べてみろ。じゃあ、俺は出かけるからな」
そう言って、安田は日比野とともに食堂を出ていった。
「ふっ、さすがだな」
本社にとんぼ返りする車中で、助手席の日比野は安田に話しかけた。
「さっきのリノベーションの件か?」
「ああ、矢野経済研究所によると、2016年~2018年のリノベーション市場は6兆円~7兆円の間を推移している。消費増税の影響を考えたら、2019年はさらに厳しいはずだ…お前も当然、知っていたんだな」
「当然だ。アイデアが出るのはよいが、勢いあまってアイデアを計画に落とし込んでみたところで、『現実はそんなに甘くない』という結果に終わるのがオチだ。地に足をつけて分析をしてもらわないと、会社が傾いてしまう」
ハンドルを握る安田の深刻そうな横顔を見て、
「…今までも、そうだったのかもな」
日比野は過去にとん挫したプロジェクトのことを指してそう言った。
「しかし、今回は本当に会社も本腰を入れてくれるんだろうな…」
「当たり前だ。だから俺たちは今本社に向かっているんじゃないか」
実は、本社の営業本部のトップから安田に「お呼び」がかかり、急遽合宿のスケジュールを縫うようにして東京に戻る羽目になり、日比野もそれに同行することに決めたのだった。
「俺は懐疑的だ。協力するつもりなら向こうが合宿所に出向くべきだろう…逆に、変な横やりを入れるために呼び寄せたとしか思えん…」
「おい…言葉を慎め。もう退社したとはいえ、お前にとっては古巣の会社じゃないか。こうやって今一緒にプロジェクトに取り組んでいるんだから、会社のためと思って我慢してくれ」
「それは逆だな。会社のためだからこそ、俺たちは我を通さなきゃいかん。いいか?若いメンバーが合宿を経て立派なアイデアを練り上げようとしているところに、本社からストップをかけられるような真似をされてみろ。…そのときは俺がお前の代わりにキレてやる」
それが、日比野が敢えて本社に同行しようと思った本当の理由だった。本気で戦おうとする人の首を切り続けていたら、H社の未来はない。だが、今や社外の人間である日比野なら、会社を負われる心配はないのだった。
「…お前は不器用だな。だが、そんなお前がいてくれるのが今は一番頼もしい」
「どうせ、計算ずくで俺を誘ったんだろ?お前らしいや」
2人は笑った。いろいろな修羅場を共に乗り越えながらつくられた絆が、そこにはあった。
つづく。
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