私が中学生時代を過ごした1970年代当時、娯楽の王様は映画館に流行の映画を観にいくことでした。田舎の中学生だった私にとって、仲の良い友だちと一緒に映画を観に行くのは、大きな楽しみでした。同時に、子供だけで街の映画館に行くのは校則で禁止されていた時代でしたから、ちょっとした冒険でもありました。
ある日、友だちと連れ立って街に映画を観に行き、大画面に映し出される物語にワクワクしながら、お菓子とジュースを買い込んで、無邪気に楽しみました。
ところが、映画の帰りに近道しようとして繁華街を歩いていたとき、事件は起こりました。私たちは「いかにも悪そう」な4、5人の男子高校生たちに取り囲まれ、路地に連れ込まれてしまったのです。そして、リーダー格が私たちに恫喝を含んだ小さな声でささやいたのです。
「おい、金貸してくれよ」
私たちは恐怖で思考停止してしまい、大人しく有り金を彼らに渡したのです。リーダー格は「これ、借りとくからな」と言って、仲間とともに去って行きました。
私は、映画を観るという楽しいはずの場所で、突然、地面に暗い大穴があいて落ちていくような気分になったことを、今でも鮮明に記憶しています。
学校の担任の先生からは、街で小中学生を狙った恐喝事件が発生しているので、子供だけで繁華街周辺を歩かないようにと注意があったばかりでした。
私たちが楽しく安全なお花畑だと思っていた街は、経験不足と、情報があっても「俺たちは、大丈夫だ。それよりも楽しもうぜ!」という軽率な行動が創り出した、単なる幻影だったのです。
既に言い尽くされていますが、「日本は世界でも非常に安全な国だから日本人は海外に出ると無防備だ」ということは、良く知られている事実です。
しかし多くの日本人が、その本当の意味を知らないまま、治安状況に関心を持たず無防備に海外旅行に出かけたり、海外に仕事に行ったりしているのです。
私たちは、幼少期から安全な日本で生活してきたために、安全に対する「過信」が心の奥深くに刷り込まれています。
その「過信」が、治安の悪い国に行っても事件・事故に巻き込まれない「ラッキーな時間」が経過するうちに、世界有数の安全な環境を経験してきた日本人の心の中に、現実離れした「安全なお花畑の幻影」を創り出してしまうのです。
過信がみせる幻影の中で、恐いもの知らずに行動をしている私たちのことを、多くの危機管理の専門家が「油断している」とか「警戒レベルが下がっている」と表現し、危機管理上の最も危険な心理状態だと指摘してきました。しかしながら多くの日本人が、「少し注意していれば、避けられたかもしれない」という事件・事故に巻き込まれ続けているのが現実です。
それでは、警戒レベルを下げないためには、どういう心構えでいるのが良いのでしょうか?
私たちは、海外旅行、海外勤務、治安の悪い国への出張などから無事に帰国したとき、家のドアを開けて「ただいま」と言うのです。そのとき私たちには、家族や友人たちの温かい歓迎の瞬間が待っています。
本当の「幸せのお花畑」とは、無事な姿を見せたとき、愛する人たちの安堵の笑顔の中にあるのではないでしょうか?
私は、「自分にもしものことがあったら、悲しむ人たちがいる」という強い思いを、海外危機管理の出発点にすべきだと確信しています。なぜなら、その強い思いが、過信が創りだす偽りのお花畑に惑わされることを抑止し、海外での行動に慎重さと持続可能な警戒心をもたらすからです。
「自分の帰りを心配しながら待っている、愛すべき人たちの心情に思いを馳せる」、それが海外で活動する者にとっての、本当の意味での危機管理の精神なのかも知れません。
[山本 優 記]
※ コラムは筆者の個人的見解であり、日立システムズの公式見解を示すものではありません。
関連ページ
日立システムズは、システムのコンサルティングから構築、導入、運用、そして保守まで、ITライフサイクルの全領域をカバーした真のワンストップサービスを提供します。