私が社会人になりたての頃の1990年代は、日本企業では「パワーハラスメント」という言葉を聞いたことはありませんでした。新入社員は職場の上司や先輩社員に厳しく指導され、指示も厳しかったと記憶しています。
課長:「おい!やーまーもーとぉー!なんだ、この伝票は?」
私 :「はっ?何か問題でもありましたでしょうか?」
課長:「字が下手で読めないぜ!それからな、カレンダーっていう便利なものが世の中に存在するのを知っとるか?」
私 :「はい」
課長:「日付が間違っとる。カレンダーぐらいデスクに置いとけ!」
といった具合に厳しく指導されていましたが、当時は良くある風景でした。
米国に駐在していた友人のA氏は、現代の職場では異色の人物で、部下の指導が厳しいことで有名でした。
彼は、学生時代は運動部で鍛えられ、「体育会系営業マン」として活躍してきたそうです。
A氏:「山本ってさ、海外危機管理の仕事をしてるんだって?」
私 :「うん。決して楽しくはないけど、好きな仕事だよ」
A氏:「俺さ、アメリカで部下から訴えられそうになったんだよ。それ以来、価値観が変わっちまってね」
私 :「部下に厳しい君のことだから、なんとなく想像はつくよ」
A氏:「やっぱり、そうか……」
A氏は、米国に派遣されても職場の部下に厳しい言葉で指示・指導していたそうです。
「おい!君は、学校で算数を習ったことあるの?売り上げが目標に到達してないことぐらい理解できないのか!」
「君は、いつも暇そうにしてるね。ここが幼稚園のように思えてきたよ。少しは営業してきたらどうなんだ?」
この話しを聞いたとき、私の感覚では、現地スタッフにとっては「指導」というより、「侮辱」だったろうなと感じたのです。
ある日、A氏の上司が、深刻な面持ちでA氏に言いました。
上司:「君、ちょっと話があるんだ。会議室に来てくれないか」
A氏は、上司の様子がいつもと違うことに不安を覚えたそうです。
上司:「昨日ね、君の部下全員が、君のマネージメントに耐えられないから会社を辞めたいと言ってきたよ。法的措置についても、皆で話し合っているらしい」
A氏:「えっ!」
上司:「君は、どんな指導をしていたんだい?」
A氏は苦悩した末、態度を改め、米国の職場での適切なマネージメントについて勉強したそうです。「体育会系営業マン」だったA氏は、すっかり国際派のマネージャーに変貌していました。努力の甲斐あって、現地スタッフたちは辞めることはなく業務に取り組むことができたそうです。しかし、ぎくしゃくした関係は任期中ずっと続いたそうです。
A氏によると、帰任後の飲み会で、日本本社の部下から意外なことを言われたそうです。
部下:「職場の皆が、部長が優しくなっちゃって、調子が出ないと言ってますよ」
A氏:「えっ!俺、皆に嫌われてると思ってたよ」
部下:「はい、嫌いでした(笑)。でも、優しいA部長なんて、ありえないっすよ。皆、気持ち悪がってますから、早く元に戻ってください」
A氏:「俺はね、厳しい態度で君たちを指導してきたが、それは君たちの忍耐に支えられていたことに、米国駐在で気が付いたんだよ」
部下:「ますます部長のことを好きになりましたよ。部長、成長しましたね!」
A氏:「俺は依然として、生意気な奴は大嫌いだってことだけは、変わってないからな。
覚えとくといいよ」
米国ではパワーハラスメントという言葉は使わないと思いますが、「Workplace Bullying(職場でのいじめ)」という言葉は、あったと記憶しています。
私の経験では、米国の職場では「部下を鍛える」という日本的指導は賛同を得るのが難しいと感じます。A氏の指導は、現地スタッフにとっては「異次元の侮辱」だったのかも知れません。
パワーハラスメントに関する法的な定義は、国によって違っています。また、文化・伝統・宗教・性別・性的指向によっても、何を侮辱と感じるかも違っています。
駐在中に労務問題を生じさせないための、世界共通のマニュアルはありません。しかし、共通のキーワードはあると思っています。
それは、「自尊心」です。
赴任先で出会う部下は、決して奴隷でも労働力を提供するだけのロボットでもありません。人として「自尊心」を傷つけるような職場での取り扱いや言葉は、労務管理上のリスクを著しく高めてしまいます。それは、日本の職場においても、同じだと言えるでしょう。
[山本 優 記]
※ コラムは筆者の個人的見解であり、日立システムズの公式見解を示すものではありません。
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