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戦国武将から学ぶ教訓

【第10回】戦国最強との呼び声高い「甲斐の虎」・武田信玄

戦国最強ともいわれる精強な騎馬軍団を作り上げ、織田信長も恐れた天下の名将・武田信玄。その生涯と人物像について解説します。

武田信玄の生涯

風林火山の旗印や、5度に及ぶ宿敵・上杉謙信との対決など、天下統一には至らなかったものの、戦国時代きっての知名度を誇る武田信玄。その人柄と人生に迫ります。

武田信玄は甲斐国の領主である武田信虎の嫡男として生を受けます。幼少の頃からその才能を発揮し、将来を嘱望されていたそう。しかしその優秀さから父・信虎に疎まれ、信虎のなかで弟である信繁を跡継ぎにする話が浮上。そうした動きや、残虐な行いに不信感を持った家臣からの要望に応える形で、信玄は父・信虎を追放し、甲斐国の領主となります。
甲斐国は山地であり、農耕に適さない地域でした。そのため、信玄は領地拡大を求め、各地を侵攻します。敗戦を味わいながらも信濃国を平定した後、終生のライバルとなる上杉謙信とついに激突。対立が深まると、信玄は今川・北条家と三国同盟を締結します。これにより後顧の憂いを断った信玄は、謙信と実に5度にわたる川中島合戦を繰り広げますが、結局最後まで決着はつきませんでした。
後年は、上洛を果たした信長と足利義昭の不和を聞きつけると、義昭に呼応し、各地の武将と連携。自身を中心に信長包囲網を築き、本格的に信長討伐へと動きます。そして、いよいよ上洛を見据え、西上作戦を決行。三方ヶ原の戦いで織田・徳川連合軍を破るなど破竹の進撃を見せますが、1573年、移動中に病のため死去。戦乱に明け暮れた53年の生涯を終えます。

エピソードで見る武田信玄の人物像

志半ばで倒れ、最終的には一地方領主として、その人生を閉じることになった武田信玄。しかし、生涯で70戦以上を戦い、わずか3度しか負け戦がなかったという戦果や精強な軍隊の育成、類まれな内政・外交手腕などで、その存在感を発揮しています。
信玄の強さの一因は、家臣団との「合議制」という手法。戦や内政など、重要な選択をする際には、家臣団を集め意見を聞きながら方針を決定していたといわれています。こうした、ほかにはない濃厚な家臣団とのつながりが、武田軍の強さの礎といえるでしょう。
また、農民だった後の重臣・高坂弾正を登用するなど、人材発掘にかけても優れていたほか、分国法である甲州法度を定めるなど内政にも才能を発揮しています。その姿はまさしく、チームビルディング能力に優れた、マルチプレーヤーであったといえるでしょう。

武田信玄の成功と失敗から学ぶ教訓

天下には届かないながらも、現代までその名声が語り継がれている名将・武田信玄。その人生から学ぶべき教訓とは、どのようなものでしょうか?

チームの意見をまとめ上げる強烈なリーダーシップ

武田信玄の強さの秘訣は、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という名言にもあるように、合議制などによるチームワークの団結によるところが大きいでしょう。とはいえ、他者の意見を聞くだけでは意見はまとまらず、むしろ離散を招いてしまうことも考えられます。さまざまな意見を受け止めながらも、それを取捨選択し、一本にまとめる統率力こそが武田信玄最大の能力ではないでしょうか。チームワークに重きを起き、それぞれの意見をまとめ上げ、先導する武田信玄の姿こそ、理想的なリーダーの姿なのかもしれません。

株式会社ライトアップ監修

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