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戦国武将から学ぶ教訓

【第7回】信長と秀吉、二人の天下人に尽くした忠臣・前田利家

加賀百万石の大大名にして、若かりし日は信長の小姓として仕え、「槍の又左」と呼ばれた猛将・前田利家。その生涯と人物像について解説します。

前田利家の生涯

織田信長の小姓として仕え、柴田勝家の与力として働き、豊臣秀吉と友情を育み、最終的には徳川家康と肩を並べた前田利家。多くの天下人と交流を持つ前田利家の人生に迫ります。

前田利家は荒子にて、前田家・前田利春の四男として生を受けます。父・前田利春が織田家に仕える身分であったことから、利家自身も幼い頃から小姓として織田信長に仕えていました。
利家は武芸に長け、特に「槍の又左」と呼ばれるほど槍が得意だったそう。戦でその存在感を発揮し、信長の直属部隊・赤母衣衆の筆頭を任されています。のちに天下人となる秀吉とは、年が近いこともあり仲が良く、家族ぐるみの付き合いがあったそうです。
一度は信長に謹慎処分を言い渡されたこともある利家ですが、その後戦線に復帰。信長の命で前田家の主君となると、戦で持ち前の能力を発揮します。信長の天下統一事業が進むと、北陸方面軍に配属され、柴田勝家の指揮のもと、またも大きな武功を上げていきます。
本能寺の変後は、直属の上司となる勝家と友人の秀吉が対立。二人の間で揺れ動きますが、一時は勝家側に付くことに。戦況が決すると勝家の温情もあり、秀吉と和解。その後は秀吉のもとで大きく出世し、豊臣政権になくてはならない側近にまで上り詰めます。
秀吉亡き後は、天下統一の野心を見せ始めた徳川家に反発。友人であった秀吉が遺した豊臣政権を、その死の瞬間まで守り抜き、62歳でその生涯を終えました。

エピソードで見る前田利家の人物像

織田信長、柴田勝家、豊臣秀吉と、その時々の有力者に仕え、重要な役職を担ってきた前田利家。戦での武勇だけではなく多くの人に愛され、人間としての魅力にもあふれていたことが想像できます。有力者の心をつかむ魅力とは、一体何でしょうか?
例えば、利家はかつて信長の怒りを買い、謹慎処分を受けています。この許しを得るために利家は織田家の戦に無断で参陣。首級をいくつも上げて、謹慎の撤回を求めました。こうした愚直な姿勢が認められ、処分を取り下げられたうえ、新たに俸禄も得ています。
また、勝家と秀吉の対立には心を痛ませ、度々両者の仲介を試みました。
秀吉の死後は、豊臣政権を守るため、家康と対立。豊臣に忠誠を誓う武将たちをまとめ上げ、最後まで真っ向から対立し、自身が生きている間は家康をけん制し続けていました。
このように、最後まで忠義を通し続ける一本気な姿勢こそが、利家の魅力ではないでしょうか。

前田利家の成功と失敗から学ぶ教訓

武士らしい実直で律義な性格を持ち、主君に対して忠義を貫く忠臣・前田利家。その人生から学ぶべき教訓とは、一体どのようなものでしょうか?

常に最高のパフォーマンスを発揮し続ける

前田利家は主君に忠義を尽くしていくことで、自分の人生を切り開いてきた武将です。信長に対する忠義により四男である利家は家督を継ぐことができ、勝家に忠義を尽くすことで秀吉とのつながりを保つことができ、秀吉に忠義を尽くすことで加賀百万石の大大名まで成長しました。もちろん、知勇に優れた本人の力量無くしてはできませんが、下克上の戦国時代、さまざまな疑念を持たれることがあっても、持ち前の真っすぐさで回避してきたのではないでしょうか。現代においても能力の限りに尽くす姿勢は、正当に評価されるために見習うべきなのかもしれません。

株式会社ライトアップ監修

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