ページの本文へ

Hitachi

株式会社 日立システムズ

戦国武将から学ぶ教訓

【第2回】数奇な運命を辿った足利家最後の将軍・足利義昭

室町幕府第15代将軍にして、最後の将軍、足利義昭。その生涯と人物像について解説します。

足利義昭の生涯

織田信長のあやつり人形としての印象が強く、どこか情けないイメージを持たれてしまいがちな足利義昭。しかし、真の姿は異なります。

足利義昭は12代将軍・足利義晴の次男として生を受けました。兄は剣豪将軍として名高い後の足利義輝。将軍家に生まれはしたものの、優秀な兄がいる義昭には、将軍になるチャンスがありませんでした。事実、義昭は兄・義輝暗殺のその時まで出家して寺社に入っていたそう。
しかし、義輝が暗殺されたことをきっかけに義昭は将軍候補となり、室町幕府の復興をめざして突き進んでいくことになります。さまざまな苦難を経験しながらも、織田信長という最高のパートナーを見つけ、見事将軍の座につくことができました。
しかし、天下統一を目論む信長と徐々に食い違いが起き始めます。信長の将軍を軽視した行いに業を煮やした義昭は諸国の大名に呼びかけ、信長包囲網とも言われる攻勢を仕掛け、一時は信長を窮地に陥れますが、包囲網の柱とした武田信玄の死を機に、その包囲網は瓦解。しまいには京から追放されて、室町幕府は終焉を迎えることになります。

エピソードで見る足利義昭の人物像

室町幕府の終焉を、自らが招いてしまった足利義昭。将軍家の子息ということで、どこかスキがあったことは事実です。しかし、独自の武力を持たない将軍家にあって、各地の大名を操り、信長を追い詰めた手さばきは見事と言えるでしょう。
信長包囲網には、武田、本願寺をはじめ、浅井・朝倉・松永、さらには神社仏閣勢力など、実に多くの勢力が参加しています。征夷大将軍という権威があったとしても、これほど大きな包囲網を作ることは容易ではありません。
さらに義昭は京を追われた後も、再び信長包囲網を築いています。多数の武将を動かす外交力と、なにが起ころうと室町幕府の再興を諦めない信念の強さは見習うべきところでしょう。

また、信長に殺されずに生き延びたり、秀吉治世の時代でも大大名並みの待遇を受けていたほか、最後まで協力者が跡を絶たなかったのは、義昭が無邪気であったからかもしれません。3つしか離れていない信長を「父」と呼び、官位を授けようとしたり、豊臣秀吉の御伽衆(話し相手)に名を連ねていたり、その気立ての良さを強く感じさせます。

足利義明の成功と失敗から学ぶ教訓

仏門から将軍候補になり、将軍の地位を勝ち取ったかと思えば、京を追放される…まるでジェットコースターのような激動の人生を送った足利義昭。そんな武将から学ぶべき教訓とは、どのようなものでしょうか?

自身の存在価値を最大限活用すること

織田信長から上洛(じょうらく)の支援を受けたり、信長包囲網を築いたり、晩年の秀吉による厚遇なども、もとを正せば義昭の将軍職という絶対的な権威があってこそ。義昭はその権威を最大限活用することで、強力な後ろ盾を得て、時には権謀術数を巡らせ、命を救われてきました。自身の立場を理解し、それを活用する処世術は、現代の組織や社会において必要なスキルのはず。自分のスタンスを崩さず、諦めないことで人生が開けることもあるのです。

時代や権力の移ろいに翻弄され続けた足利義昭。時には荒波にもまれることもありましたが、当時の武将としては高齢の61歳まで生き延びています。自身の立場を生かしつつ、うまく時代の波に乗る柔軟さこそが義昭の最大の武器だったのかもしれません。

株式会社ライトアップ監修

クイズページへ

 
  • 「戦国武将タイプ診断」へ

メールマガジン

最新のイベント情報、商品情報など、お役立ち情報をご紹介するメールマガジンをお送りしております。

メールマガジン登録

  • 日立システムズFacebook 公式アカウント
  • Webから直接、クラウドサービスの注文・導入ができるオープンクラウドマーケットプレース

データセンター紹介ページへ

データセンター紹介
ゆるぎない信頼のパートナー 日立のデータセンター

ハイパーダイヤの専用サイトを別ウィンドウで表示します。

交通のことならハイパーダイヤ
乗換案内・路線情報検索サイト。英語・中国語にも対応。

日立システムズの
Microsoftソリューション
Microsoftとの力強い協力体制で、お客さまのソリューションを支えます。

日立システムズは、システムのコンサルティングから構築、導入、運用、そして保守まで、ITライフサイクルの全領域をカバーした真のワンストップサービスを提供します。