ページの本文へ

Hitachi

株式会社 日立システムズ

クイズ

第12回 加藤清正クイズ

第12回の武将は加藤清正。虎殺しの異名が伝わっているように武勇に優れ、豪胆なイメージが強い加藤清正ですが、とある幕末の英雄が憧れを抱いていたと言われています。今なおファンも多い清正に憧れを抱いた、幕末の英雄とは誰でしょうか?

1:西郷隆盛

2:近藤勇

3:高杉晋作

  • 【答え】2:近藤勇

    【解説】
    正解は2の「近藤勇」。近藤勇が得意とした芸に、「握りこぶしを口に入れる」というものがありますが、実はこの芸の発祥は加藤清正その人です。加藤清正は体格も大柄で口も大きく、口に拳を入れることができたのだそう。近藤勇は武士になることを志していたため、同じく平民の立場から大大名に成り上がった加藤清正の武勇や出世する姿に憧れを持っていて、この特技も清正にあやかって真似たのだとか。
    江戸幕府開府に向けて動乱の時代を生きた清正が、江戸時代の終焉を彩る英雄に影響を与えていたというのは、なんだかドラマを感じますね。
    それにしてもこの芸、酒宴の席でも受けがよさそうです。もしかしたら清正も酒宴の席でこの一発芸を披露して、秀吉のご機嫌を取っていたのかもしれませんね。

第11回 武田信玄クイズ

第11回の武将は武田信玄。武田信玄といえば、ライバル・上杉謙信との五度にわたる合戦が有名ですが、いずれも勝敗はついていません。しかし実は、一度だけ合戦以外の方法で勝敗が喫したという逸話があります。その方法とはなんでしょうか?

1:飲み比べ

2:闘茶(利き酒のお茶版)

3:相撲

  • 【答え】3:相撲

    【解説】
    正解は3の「相撲」。『川中島五度合戦次第』という書物によると、1564年、川中島で両軍がにらみ合っていたところ、せめて川中島の領有権だけでも決めようと、武田側が相撲勝負を持ちかけた、といわれています。両軍の中から力自慢を選出して相撲を行った結果、上杉側の勝利となったそうです。これに納得できなかった武田側の武士が上杉軍を奇襲しようとしたところ、信玄は「みっともないからやめろ」と、いさめたのだとか。
    とはいえ、これはあくまで逸話。こんな話が出てくるほど、どちらにとっても白黒つけたかった合戦だったのかもしれませんね。

    そんな武田信玄の名言
    「我、人を使うにあらず。その業を使うにあり。」
    さて、この言葉が意味する、武田信玄の生き様とは…?

第10回 豊臣秀吉クイズ

第10回の武将は豊臣秀吉。農民の身分から天下統一を成し遂げた、戦国の出世頭とも言える秀吉ですが、その勢いを裏付けるようなさまざまな催しを行っていました。その中でも今なお残っている文化があります。一体どれでしょうか?

1:花見

2:仮装大会

3:歓送迎会

  • 【答え】1:花見

    【解説】
    正解は1の「花見」。古くから日本に伝わる花見ですが、古来の花見は貴族による、とても上品なものだったと言われています。今で言えば春の園遊会のようなものでしょうか。しかし、秀吉が開いたものはもっと気さくなものでした。京都の醍醐寺に700本の桜を植え、そこに身内や配下の武将の妻など総勢1,300人以上を招き、桜の元で盛大な酒宴を開きました。世にいう「醍醐の花見」です。実はこの桜の下で酒宴を開くスタイルの花見は秀吉発祥と言われ、醍醐の花見以降、一般庶民にも花見の文化が浸透していったと言われています。農民出身だから気取ったところがなく、しかも派手好きというなんとも秀吉らしい気立てを感じずにはいられません。
    こうした気取らない雰囲気が、人たらしとも言われる秀吉の所以なのかもしれませんね。

第9回 上杉謙信クイズ

第9回の武将は上杉謙信。武田信玄の終生のライバルで、自身を毘沙門天の化身と称した戦国最強の武将として有名ですが、もう一つ、酒処、越後の国の武将らしく酒豪な一面も。そんな謙信の酒のツマミといえばなんでしょうか?

1:梅干し

2:塩

3:干物

  • 【答え】1:梅干し

    【解説】
    正解は1の「梅干し」。上杉謙信は酒好きとして知られていますが、酒宴は好まず、一人、または少人数で嗜むことを好みました。そして、そのツマミとなったのが梅干し、もしくは味噌だったと言われています。縁側で質素なツマミで一人盃を傾ける…なんとも最強の武将らしい佇まいですね。
    しかし、この酒とツマミが謙信の死因ではないかとも言われています。梅干しや味噌による塩分の過剰摂取と、長年の飲酒…これらによって最終的に謙信は脳出血で倒れたのではないかという説があるそう。妻もめとらないなど自分の利益を捨てて義のため、あるいは越後のために戦ってきた謙信ですが、酒とツマミだけは捨てることができなかったようです。
    塩といえば、武田信玄に塩を送ったという「敵に塩を送る」というエピソードが有名ですが、まさか敵を生かしたその塩が自分の身を滅ぼすとは皮肉な話ですね。

第8回 伊達政宗クイズ

第8回の武将は伊達政宗。奥州の覇者であり、独眼竜と称された猛将・伊達政宗ですが、天下に平穏が訪れると戦とはまったく異なるある趣味に凝り始めます。竜に例えられる猛将が見つけた、非常に家庭的な趣味とは何でしょうか

1:料理

2:裁縫

3:菜園

  • 【答え】1:料理

    【解説】
    独眼竜とも称される政宗ですが、実は現代で言う料理男子でした。しかも単なる美食家ではなく、自ら料理を行うという筋金入りの料理家。実際に二代将軍秀忠に対して料理を振る舞ったこともあるほか、三代家光の接待の際には献立を決めて味付けや配膳までも自ら行う料理のプロデュースもしました。料理に関しての政宗の言葉も残されていて、“馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である”とのこと。
    その食への情熱は今の世にも郷土料理として残っていて、宮城県の名物である「ずんだ餅」は政宗考案と言われています。

    趣味ひとつとっても、なにごとも人任せにせず、自らの力で実践する政宗の人柄が出ていますね。

第7回 石田三成クイズ

第7回の武将は石田三成。豊臣秀吉の秘蔵っ子であり、徳川家康と天下分け目の戦いで争った武将ですが、実はある果物にまつわるエピソードが複数あります。石田三成と関係の深い果物とはいったいどれでしょうか?

1:柿

2:りんご

3:ぶどう

  • 【答え】1:柿

    【解説】
    一つはまだ豊臣秀吉が存命中のころ、細川忠興とのエピソード。忠興と仲直りするために、柿でもてなそうとした三成ですが、おもむろに柿を差し出して「食べろ」と言い放ちます。それで忠興が怒ってしまい、さらに仲がこじれたとか…。

    もう一つは三成の最期のとき。捕らえられて処刑を待つ間、喉が渇いた三成は、水を所望します。水はないが柿ならあると言われ、柿は体に障ると断ります。これから死ぬものが体を気にしてどうすると笑われますが、三成は、天下の武将は最後まで自分の体を気にするものと言い放ちます。
    ちょっとコミュニケーション下手、でも意志の強い三成の人物像が伝わるエピソードですね。

第6回 島津義弘クイズ

第6回の武将は島津義弘。「鬼島津」の呼び名で、日本のみならず海を越えて恐れられた、戦国時代でも屈指の猛将です。そんな島津義弘ですが、戦の際に、正確な時刻を測るため、ある動物を戦場に連れて行ったそうです。それはどの動物でしょうか?

1:猫

2:にわとり

3:犬

  • 【答え】1:猫

    【解説】
    島津義弘は朝鮮出兵の際、正確な時刻を知るため、猫を7匹連れて行ったそう。明るいところでは細く、暗いところでは丸くなるという猫の目の習性を利用したらしいのですが、果たして本当に正確な時間を計れたかどうかは定かではありません。ちなみに2匹が無事日本に生還し、この猫を祀った猫神神社という神社が今日も現存しています。
    また、島津義弘は近衛前久という知人に猫を贈っており、その際の礼状でさらに別の猫をねだられているので、相当な愛猫家だったのかもしれませんね。

第5回 井伊直政クイズ

第5回の武将は井伊直政。井伊の赤鬼と恐れられた勇猛な武将です。戦国時代に、精鋭部隊に授けられたとされる「赤備え」ですが、実は近代の戦いにおいても「赤備え」が存在したと言われています。それはどの戦いでしょうか?

1:第一次世界大戦

2:戊辰戦争

3:薩英戦争

  • 【答え】2:戊辰戦争

    【解説】
    井伊直政が開祖となる彦根藩の武装は、幕末に至るまですべて赤備えで統一されていました。旧幕府と新政府との戦いとなる戊辰戦争でも、彦根軍は幕府軍の先鋒として赤備えで戦いに臨んだそうです。井伊家にとって赤備えは時代を超えてもなお輝かしい栄光の現れだったのかもしれませんね。ところが、近代化した戦術の前で、目立つ赤備えは格好の標的となり大敗を喫してしまうのです。戦国時代に名を馳せた「井伊の赤備え」が敗れる姿は、まさに旧来のシステムが崩壊していく象徴のようですね。

第4回 毛利元就クイズ

第4回の武将は毛利元就。稀代の謀将として名を馳せた中国地方の覇者です。そんな毛利元就自身が守り、息子たちにも数限りなく忠告し、控えさせたものとは?

1:香木

2:酒

3:茶の湯

  • 【答え】2:酒

    【解説】
    毛利家は代々、酒に害されやすい体質なのか、元就は父・弘元、兄・興元をそれぞれ酒毒(アルコール中毒)で亡くしています。そのため、元就自身は生涯酒を控えていたほか、嫡男・隆元に酒でウサを晴らすことがないよう注意しています。また、孫の輝元に対しては、元服の祝の際に出す酒を控えるよう輝元の実母に忠告しています。
    『百薬の長とはいへど万の病は酒よりこそ起れ』、と言います。飲み過ぎを控えるのは戦国時代も今も変わらないようです。事実、元就はこの時代には珍しいほど長寿でした。

第3回 徳川家康クイズ

第3回の武将は徳川家康。戦国時代を治め、歴史に残る長期政権を樹立した徳川家康ですが、多趣味としても知られ、将棋もたしなんでいました。そんな彼の将棋の段位は?

1:十段

2:四段

3:三級

  • 【答え】1:十段

    【解説】
    しかし、元々将棋の世界に十段という段位はなく、平成24年日本将棋連盟から家康の十段推戴状を徳川宗家第18代長男の徳川家廣様に贈呈されました。
    徳川家康は将棋を幕府公認の遊戯・技芸としたり、初代名人・大橋宗桂(おおはしそうけい)に扶持(給与)を与えるなど、将棋の権威拡大に寄与したとされており、その功績を讃えたもの。肝心の実力も、アマチュアとしてはかなりの腕前だったようです。

第2回 織田信長クイズ

第2回の戦国武将クイズは織田信長。新しいもの好きで知られる織田信長ですが、彼のそばには「弥助(やすけ)」という家臣がおり、重用されていました。さて、彼の出身地は?

1:ポルトガル

2:モザンビーク

3:中国

  • 【答え】2:モザンビーク

    【解説】
    正解は2の「モザンビーク」。弥助は現在のモザンビーク出身と言われています。当初、イタリア人宣教師の奴隷として日本に来ました。イタリア人宣教師が信長に謁見した際、彼を見た織田信長が大変興味を持ち、譲り受けたということです。織田信長は彼の肌が黒いことをなかなか信用せず、風呂に入らせ、体を洗わせたという逸話も。その後、彼のことを気に入り、「弥助」という名前を与え、武士の身分まで与えたのだとか。本能寺の変の際にも一緒にいたそうです。

第1回 真田幸村クイズ

今回からスタートする戦国武将クイズ、第1回の武将は真田幸村がテーマです。幸村直系の子孫は幸村とその長男の死で途絶えたと思われましたが、その後、とある武将の部下として再興しています。果たして、どの武将でしょうか?

1:上杉家

2:伊達家

3:島津家

  • 【答え】2:伊達家

    【解説】
    この話は、幸村の死後、三女・阿梅が伊達政宗の右腕として有名な片倉小十郎の嫡男・片倉重長に嫁いだ際に次男の大八も共に片倉家に向かったことによるもの。その後、大八は元服して片倉守信となり、その後も血筋が絶えることなく続きます。そして死後から100年ほど経って、遠く仙台の地で真田家が復興したそうです。
    ちなみにこの片倉重長は、大阪夏の陣で真田幸村自身と激しく争った相手。敵方の将の娘をめとるだけならまだしも、男児までも共に受け入れることは、戦国時代の情勢を考えるとかなり寛大な処置です。戦いを通じた男の友情のようなものが生まれたのかもしれません。

メールマガジン

最新のイベント情報、商品情報など、お役立ち情報をご紹介するメールマガジンをお送りしております。

メールマガジン登録

  • 日立システムズFacebook 公式アカウント
  • Webから直接、クラウドサービスの注文・導入ができるオープンクラウドマーケットプレース

データセンター紹介ページへ

データセンター紹介
ゆるぎない信頼のパートナー 日立のデータセンター

ハイパーダイヤの専用サイトを別ウィンドウで表示します。

交通のことならハイパーダイヤ
乗換案内・路線情報検索サイト。英語・中国語にも対応。

日立システムズの
Microsoftソリューション
Microsoftとの力強い協力体制で、お客さまのソリューションを支えます。

日立システムズは、システムのコンサルティングから構築、導入、運用、そして保守まで、ITライフサイクルの全領域をカバーした真のワンストップサービスを提供します。