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幕末の志士から学ぶ教訓

【第6回】革命の魁!時代を駆け抜けた夭逝の風雲児・高杉晋作

幕府方に付くところであった長州藩をクーデターで一新し、奇兵隊など型にはまらない策を次から次へと実践していった風雲児・高杉晋作。今回は、その生涯と人物像に迫ります。

高杉晋作の生涯

英国公使館の焼き討ち、奇兵隊の設立、そして長州藩でのクーデターなど、突飛な行動を起こし、時代の流れを変えていった高杉晋作。しかし、ただ単に奇抜な行動を取るだけでなく、時代の流れを読み、そのときに必要な動きを実践しています。突飛に見えるのはあまりに時代を先取りしていたからなのかもしれません。

高杉晋作は萩城下町にて、名門武士の家系に生まれました。幼少期は聡明ではありましたが、病弱で体調を崩しがちだったそう。しかし、藩校である明倫館の授業を型どおりでつまらないと通わなくなるなど、このときから破天荒な性格の片鱗がありました。
病弱な身体も剣術修行で鍛えられ、青年期になると生涯の師となる吉田松陰の私塾・松下村塾に入塾し、メキメキと頭角を現します。そして江戸への遊学、上海への留学を通して、攘夷思想が形作られていくことになります。

帰国後に再び江戸に遊学に出た高杉晋作は、最初の事件となる英国公使館の焼き討ちを同士数名とともに決行。さらに過激な行動も計画していますが、露見して謹慎処分に。
その後、隠遁生活を始めるのですが、その途中、時代が必要としていたのか、下関戦争の際には藩から召集され、軍備を整えるという名目で奇兵隊を創設します。その後、第一次長州征伐で幕府側に恭順の姿勢を示した藩上層部を見限り、賛同者を呼びかけクーデターを実行、政権を掌握します。その勢いそのままに第二次長州征伐では、薩長同盟による軍備の拡充もあり、幕府軍に勝利。しかし、志半ばで結核に倒れ、夭逝しました。

エピソードで見る高杉晋作の人物像

早くに亡くなったにも関わらず、高杉晋作が幕末の日本に与えた影響は計り知れないものがあります。その行動力は、あの英雄・坂本龍馬にも引けを取りません。

その秘訣は、ときに過激にも思える高杉晋作の行動原理にあるのかもしれません。もともと聡明な頭脳を持っていた高杉晋作は、海外留学を経験することで、いち早く外国勢力の脅威を知ることになります。そして、その外国勢力に対抗するための措置を次々に講じていくのです。奇兵隊も旧態然とした武士の軍隊では頼りないと思い、身分にこだわらず広く民衆から有志を募って作り上げた近代的な軍隊。どの発想も旧態然とした考えがはびこる中では、奇想天外に見えたことでしょう。

そして、なによりもそれを実行する行動力こそが高杉晋作の本質でしょう。中でも長州藩に対するクーデター・功山寺挙兵はその最たるもの。当初はわずか80名程度しか集まっていない中での挙兵だったそうです。どれだけ劣勢であっても即座に動く行動力が、圧倒的不利な状態の中からでも勝利につながった秘訣なのではないでしょうか。

高杉晋作の成功と失敗から学ぶ教訓

短い生涯ながら、圧倒的なインパクトを残し、今なおファンの多い高杉晋作。その人生から学ぶべき教訓とはいったいどのようなものでしょうか。

1:時代を変える行動力

伊藤博文が高杉晋作を評して、こんな言葉を残しています。

「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」

まさにこの言葉通り、即断即決こそが高杉晋作の魅力でしょう。変えなければいけないと思ったものは即座に行動して、変革を起こす。そしてわずか80名ながら、クーデターを起こし、後の行動で賛同者を増やした勇気と有言実行の精神は、見習っていきたいものです。

2:足並みを揃えることもときには必要

一方で、高杉晋作の行動にはどこか危うさも際立っています。それは、あまりにも早い動きに周りが付いていけないこともあったようなので。もしクーデターの賛同者が集まらなければ、時代は大きく変わったことでしょう。ときには周囲と足並みを揃え、万全の体制を期すことも必要です。

幕末という変革の時代だからこそ、高杉晋作の動きは功を奏してきたところもあります。しかし、もっと根回しをしていれば、時代の流れはさらに早まっていたかもしれません。実行力だけでなく、調整力も手に入れれば鬼に金棒ですね。

株式会社ライトアップ監修

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