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株式会社 日立システムズ

第5回 江戸時代の感染症

新型コロナウィルスの感染症は、3年以上経ってもなかなか終息する気配がない。こうした感染症のパンデミックは歴史上たびたび発生し、多くの人びとの命を奪ってきた。江戸時代も同様で、風邪、インフルエンザ、麻疹(ましん)、赤痢、梅毒といった感染症が波のように何度も襲った。あの5代将軍徳川綱吉も、麻疹によって命を落としている。

ただ、最も致死率が高かったのは天然痘である。当時は疱瘡(ほうそう)や痘瘡(とうそう)などと呼ばれ、多くの乳幼児が犠牲になった。たとえ健康を回復しても、顔にひどいあばたが残ることも少なくなかった。

しかも発症したら、効果的な治療法は存在しない。寛政10年(1633)刊行の志水軒朱蘭(しすいけんしゅらん)著『疱瘡心得草』を紐解くと、「疱瘡にかかったら酢、酒、麺類、餅類、脂っこいものは食べてはならない」といった根拠のない迷信が記されている。

だから人びとは感染しないよう、子どもに疱瘡絵をお守りに持たせた。疱瘡絵とは、鍾馗(しょうき、厄除けの神様)や源為朝といった強い武将を赤一色で描いたもの。疱瘡は疫病神(疱瘡神)がもたらすとされ、武将の絵が厄除けになると信じられていたのである。

だが、19世紀になると、この状況が変わる。1798年、イギリスのジェンナーが、牛にも天然痘に似た感染症(牛痘)があり、感染した牛の膿(牛痘苗)を人体に入れると水疱性の発疹が現れるものの、彼らは決して疱瘡に罹患しないことを知り、牛痘種痘法を考案したのだ。

まもなく日本にもその知識が伝わり、やがて佐賀藩主の鍋島直正が長崎在住の佐賀藩医・楢林宗建(ならばやしそうけん)にオランダ人から牛痘苗を手に入れるよう命じたのである。

そこで、宗建は出島のオランダ商館長に依頼し、嘉永元年(1848)、商館医モーニッケがバタビアから運んできた牛痘苗を子どもに接種したが、水疱は現れずに失敗に終わった。しかし、宗建は諦めず、翌年、今度はモーニッケから痘痂(とうか、牛痘苗でなく瘡蓋〈かさぶた〉)を手に入れ、3人の乳児に接種した。すると、1人に水疱が現れたのである。これが日本初の牛痘種痘法の成功例であり、なんとその乳児は宗建の子・建三郎だった。宗建は次々と乳児に種痘を行い、水疱が現れた子どもたちを痘苗として佐賀へ送った。藩主の直正は領民が接種を恐れぬよう、嫡男の淳一郎に牛痘を接種。これにより藩内では急速に種痘が広まったのである。

長崎ではさらに痘苗の植え継ぎが行われ、越前藩、薩摩藩、水戸藩などに運ばれて多くの領民に接種がなされた。いずれも松平春嶽、島津斉彬、徳川斉昭など名君がいる藩だった。このように藩主のリーダーシップのもと、当該藩の接種が進んだが、例外として幕領である大坂でも、庶民の多くが牛痘を接種した。これを実施したのは、蘭学塾「適塾」を営む緒方洪庵だった。

長崎の痘苗を京都の日野鼎哉(ていさい)や越前の笠原良策が入手したことを知った洪庵は、頼み込んで苗を分けてもらい、大和屋喜兵衛(豪商で薬種問屋)の協力で家を借りて除痘館(じょとうかん、種痘所)を設け、無償で種痘を始めたのである。施設の開所にあたり、洪庵は喜兵衛と日野葛民(かつみん、鼎哉の弟)と3人で「種痘は仁術のため。謝礼を受け取ることもあろうが、個人の利益とせず、仁術を広めるための費用にしよう」と誓いあった。そして、町医者たちにも種痘免状を与え、大坂各地に分苗所(除痘館の支部)をつくらせていった。

だが、しばらくすると、除痘館に人が全く来なくなってしまう。というのも「牛痘を接種すると健康を害する」という流言が広まったためだった。

それでも洪庵は疱瘡の病没者を無くすため、貧しい人びとに米や銭を与えて来館を促したり、各地で種痘の効能を説いたのである。こうした苦労の末、ようやく信用を得ていったのだった。ただ、種痘をさらに広めるには、幕府の公認が必要だと考えた洪庵は、大坂町奉行所に「除痘館を公的な施設にしてほしい」と嘆願した。だが、許可が全く降りる気配はない。それでも彼は諦めず、何十度も嘆願し続けた結果、とうとう除痘館を開いてから9年後の安政5年(1858)に幕府の公認を得られたのである。これにより、除痘館に人びとが集まるようになり、その2年後、除痘館をさらに広い屋敷に移転させた。

幕府はこうした功績を高く評価し、文久2年(1862)に洪庵を奥医師(将軍家侍医)として江戸へ招き、西洋医学所の頭取に任じた。が、残念ながら翌年、洪庵は54歳の若さで亡くなってしまった。「道のため」「人のため」「国のため」。それが洪庵の口癖だったという。

このように江戸時代にも、政治的リーダーシップを発揮した名君や優れた医師が、感染症から多くの人びとを救ったのである。

参考文献

  • 深瀬泰旦著『わが国はじめての牛痘種痘 楢林宗建』(出門堂)
  • 緒方洪庵記念財団除痘館記念資料室編『緒方洪庵の「除痘館記録」を読み解く』(思文閣出版)
  • 『御触書天保集成 下』(岩波書店)
  • 酒井シヅ著『絵で読む江戸の病と養生』(講談社)
  • 石島弘著『水戸藩医学史』(ぺりかん社)

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※ コラムは筆者の個人的見解であり、日立システムズの公式見解を示すものではありません。

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