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戦国武将から学ぶ教訓

【第11回】草履取りから天下取りへ、戦国の出世頭・豊臣秀吉

草履取りから天下人へ、異例の大出世を遂げた戦国の申し子・豊臣秀吉。その生涯と人物像について解説します。

豊臣秀吉の生涯

信長の草履取りから、さまざまな機転で出世を重ね、ついには信長の後継者として天下を治め、関白にまで上り詰めた豊臣秀吉。下克上を体現する秀吉の人生に迫ります。

一介の農民であった豊臣秀吉の前半生は定かではありません。秀吉の人生が記録に登場しはじめるのは、彼が信長の草履取りとなった頃からのこと。草履を温め、信長に気に入られたエピソードはあまりに有名ですよね。草履取りはもちろん台所奉行など、戦とは別の部分でその器用さや機転で、徐々に信長の注目を集めはじめます。
初めて戦で注目を集めたのは、かの有名な墨俣一夜城の築城。秀吉は既成概念にとらわれない自由な発想で功を上げ、その後は順調に織田家中で出世を重ねます。
二度目の転機は本能寺の変。中国大返しでいち早く逆賊・光秀を討った秀吉は、一気に信長の後継者として注目されるようになります。賤ヶ岳の合戦で織田家中を治めた秀吉は、その後、中国、九州、小田原を平定し、名実ともに天下人に。
その後は刀狩りや検地など、やや強権的な政策で地盤を固め、まさに位人臣を極めていきます。そんな秀吉ですが、晩年は甥・秀次の切腹や朝鮮出兵など失策を重ね、自らその地盤を揺るがせ、1599年、62歳で死去。その十数年後に豊臣政権は滅び、徳川幕府が始まることになるのです。

エピソードで見る豊臣秀吉の人物像

農民から関白へ―壮大な出世劇を体現した豊臣秀吉。秀吉自身の柔軟な発想もさることながら、やはりその出世を後押しした才能は、“人たらし”ともいわれたコミュニケーション能力や人心掌握術でしょう。金ケ崎の退き口で自ら殿(しんがり)を進言した信長へのアピールや、賤ヶ岳で暑さに苦しむ足軽に笠を与えた家来への気遣い、巧みに味方へと引き入れる敵への懐柔策など、とにかく人を動かす戦略に長けています。
また、古くからの家来を持たない秀吉は、自ら家来を選んでいたため、人材登用にも優れていたといいます。石田三成や、加藤清正などの賤ヶ岳の七本槍、竹中半兵衛・黒田官兵衛といった軍師など、優れた才能を見抜き、重用しています。こうした人材を有効に活用することで、よりスムーズに勢力拡大を果たすことができたといえるでしょう。
人を見抜いて動かし、天下をも動かす。まさに秀吉は部下のやる気を底上げし、自由自在に操るモチベーターといえるでしょう。

豊臣秀吉の成功と失敗から学ぶ教訓

柔軟な発想と、大きな度量、優れた人材登用術で天下を手に入れた豊臣秀吉。その人生から学ぶべき教訓とは、どのようなものでしょうか?

仲間を信頼し続ける大切さ

これだけ人の心を動かすことに長けた豊臣秀吉でしたが、晩年は天下を取ったことで猜疑心が生まれ、優秀な部下の心離れを招いています。例えば、秀吉の戦を支えた黒田官兵衛への冷遇や、千利休の処断、最たるものとしては甥・秀次の排斥があります。秀次の排斥に当たっては、本人はもちろん家族・親族に及ぶまで処刑してしまいました。
自身が栄華を極めることには執着した秀吉でしたが、その安定を次代に残す足場固めができていなかった点が悔やまれます。もしも秀吉が周囲を信頼し、次世代の教育に注力していたら、秀吉の死後も豊臣政権は続いていたかもしれません。部下を最後まで信頼し、その労をねぎらうことの大切さを、秀吉の成功と失敗から学びましょう。

株式会社ライトアップ監修

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