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戦国武将から学ぶ教訓

【第9回】艱難辛苦に耐え、花開いた遅咲きの英雄・徳川家康

数々の苦難を耐え忍び、ついには天下を平定し、260年に及ぶ天下泰平の世を築いた初代徳川幕府将軍・徳川家康。その生涯と人物像について解説します。

徳川家康の生涯

「織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに食うは徳川」と狂歌にあるように、どこか棚からぼた餅のような天下人とイメージされがちな徳川家康ですが、その人生は苦難の歴史でもありました。家康のその人生に迫ります。

徳川家康は三河国の豪族・松平広忠の嫡男として生を受けます。しかし、その幼少期のほとんどを織田家と今川家で人質として過ごします。
この人質生活中に父・広忠が急死し、幼年であることを理由に居城を今川家に取り上げられるなど、苦難の連続が続きました。
そんな家康の転機となったのが、桶狭間の戦い。この戦いで、織田信長が松平家の主人である今川義元を破ると、徳川家康は今川家から独立。跡継ぎである氏真を倒すとともに、信長と同盟を結び、以後、織田家とともに天下統一の道を突き進むのでした。
本能寺の変後は、豊臣秀吉が明智光秀や柴田勝家と争っている間に、旧武田領を手中に収めることに成功。次の天下人となる秀吉も無視できないほど大きな勢力となります。小牧・長久手の戦いで秀吉とも争いますが、和睦後は秀吉に臣従。以後、豊臣政権の重要なポストに就きます。晩年の秀吉の失策もあり、徐々に諸侯の信頼を得ていった家康は、秀吉の死後、関ケ原の戦いで石田三成に勝利したことで、事実上の天下人となり、その数年後には大坂の陣で豊臣家を滅ぼし、江戸幕府を樹立します。
その後は江戸幕府の安定運用を行うための土台作りに奔走し、260年に及ぶ天下泰平の礎を築き、75年の生涯を終えます。

エピソードで見る徳川家康の人物像

数々の苦難を経験し、乗り越え、天下人となった徳川家康。耐え忍びながらもやがて成功するその様子は、まさに大器晩成型のリーダーといえるでしょう。その素質のひとつは類いまれな忍耐力にあります。
幼少期の人質生活から始まったように、徳川家康の人生は苦難に耐え忍ぶことで切り開かれています。
信長の命で妻と嫡男を失うことになっても時流を読んで反抗せず、小牧・長久手の戦いで勝利を目前にしながら秀吉の調略で不利な講和を求められても、耐えながら着実に力を付けています。言い方を変えれば、機をうかがう能力に長けているともいえるでしょう。
また、雌伏の期間もただ待つだけでなく、着実に力を蓄えることができる政治力も大きな要因のひとつです。部下として甘んじているのではなく、いずれ来るチャンスに備える抜け目のなさから、「タヌキ親父」と呼ばれていたそう。

徳川家康の成功と失敗から学ぶ教訓

信長・秀吉という天下人二人とともに過ごし、ついにはその後を継いで天下を治めることになった徳川家康。その人生から学ぶべき教訓とは、どのようなものでしょうか?

ネクストチャンスを信じ続ける意志の強さ

忍耐力や政治力、さらには失敗から学ぶ度量など、成功する要因を多く持っている徳川家康。しかし最も大きな要因は、天下を治めるという思いを折れずに持ち続けた意志の強さにあります。家康は信長の死後と、小牧・長久手の戦いの二度にわたり、天下をつかむチャンスを逃していますが、天下が取れないとみると潔く引き、力をため込んでいます。この次の機会を信じて力をためる姿勢こそが、家康を天下人にしたといえるでしょう。
保身に走ったり、諦めてしまっては、決してチャンスはつかめません。忍耐強く次の機会を待つ意志を持ち続ける姿勢を、家康の人生から学びましょう。

株式会社ライトアップ監修

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