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株式会社 日立システムズ

第3回 徳川家康編
緻密な戦略で磐石なセキュリティ体制を作り上げるセキュリティ担当者

苦労人 徳川家康とは


黎嘉 絵

「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス」
「人の一生は重荷を負うて、遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」

これらの言葉通り、最終的には天下を取った徳川家康ですが、その人生には多くの苦労と忍耐がありました。幼少期の今川家・織田家での人質生活、織田家臣従時代の嫡男・信康の切腹、三方ヶ原での敗戦など枚挙にいとまがありません。織田信長が討たれると、仇討ちのために危険な伊賀越(神君伊賀越え)を行い、領地に戻るも、体勢を整えたときにはすでに豊臣秀吉が仇討ちを達成していました。そして、豊臣家臣従時代には縁の深い三河の地を手放し、関東への移封を命じられています。
このようにその時々の実力者たちに臣従する中で、さまざまな辛酸を舐めてきた徳川家康ですが、それゆえに過酷な戦国時代を生き抜く術を誰よりも学ぶことにもなりました。

豊臣秀吉亡き後は、これまでに培った老練な手腕を発揮し、豊臣家の五奉行筆頭である石田三成を関ヶ原の合戦で、豊臣秀頼を大坂夏の陣で破り、ついに江戸幕府を開府。天下統一を成し遂げます。

根回しに長けた老練なベテラン管理職

そんな徳川家康をセキュリティ担当者に例えるならば、生え抜きのベテラン管理職といえるかもしれません。トップに立つまでに長い時間と経験を積み重ね、上司からも部下からも信頼の厚いチームリーダーです。派手さや革新性はありませんが、安定したチーム運営が魅力です。

徳川家康は忠誠心が高いといわれる三河武士を中心に苦難を乗り越えてきました。また、さまざまな敗戦や危機も経験しており、特に武田信玄とあいまみえた三方ヶ原の戦いにおける敗戦では、敗北の姿を肖像画に残すなど、大きな影響を与えました。
厳しい戦国時代を時の実力者とともに生き抜いてきた実績は、晩年の徳川家康の大きな力となります。事実、豊臣秀吉亡き後はさまざまな若い武将たちを抑えるだけの説得力を手に入れています。こうした姿は、高いチームビルディング力と経験を持った、ベテラン担当者の姿と重なります。

そんな徳川家康の強みといえば、慎重さから来る綿密な事前準備でしょう。石田三成と争った関ヶ原の合戦では、その性格が非常によく表れています。徳川家康は秀吉死去後の豊臣家の内部分裂を利用し、さまざまな武将を仲間に引き入れ、準備を整えています。そして、上杉征討を理由に自らが出兵することで、石田三成を誘い出すことに成功します。結果はご存じのように徳川家康が率いる東軍の圧勝でした。

システム開発の現場でも、セキュリティホールなどのぜい弱性が残ったシステムは少なくありません。人が開発する以上、誤りを完全になくすことは難しく、そこを狙って攻撃されることも。ぜい弱性診断などを行うことは必要ですが、積極的に他の対策をとっている企業もあります。
重要度の高いシステムを開発している企業では、ぜい弱性の発見者に対して報奨金を支払っているケースがあります。例えば、MicrosoftやGoogle、Facebookのような企業では高額の賞金が設定されていることも多く、攻撃者を敵に回すのではなく、味方につけて対策を行っているのです。

スピード不足によるチャンスの喪失

天下統一を成し遂げ、その後の太平の世へと続く磐石な体制を作り出した徳川家康に、これといった欠点は見受けられません。まさに一企業、一部署を治めるためには最適な人材といえるでしょう。

あえて欠点を挙げるとするならば、それは慎重さゆえの「スピード感の欠如」。それが最も顕在化したのが、織田信長討ち死に後の動きです。このとき、徳川家康と豊臣秀吉は対照的な動きをしています。
当時徳川家康は堺見物の最中で、僅かな手勢のみの状態でした。そのため、明智光秀の追っ手を避けて、三河へと帰るために危険な伊賀越えを行っています。対する秀吉は中国攻略の真っ最中。ところが報を聞くや凄まじい速さで全軍を持って京都へと引き返します。結果的に明智光秀を討ち、その後のすう勢を決定付けました。
もちろん兵力を持っていた豊臣秀吉と、僅かな護衛のみの家康をそのまま比較することはできませんが、もし、このとき一刻もはやく三河に戻る手はずが取れていたら、歴史は変わっていたかもしれません。

最近は「ゼロデイ攻撃」という言葉が話題になっています。ぜい弱性が発見されてから、開発元による修正プログラムが提供されるまでの間に攻撃が行われることを意味する言葉で、対策は難しいとされています。しかしこのような場合も、情報をいち早く手に入れることが重要です。
もし、回避策などの情報を入手できていれば、攻撃を未然に防ぐことができるかもしれません。そのためには自社のシステム構成を普段から把握しておき、公開されたぜい弱性による影響をスピーディーに確認できる体制づくりが求められます。
場合によっては、該当の製品を使用しない、といった大胆な対応を取ることも考えられます。

徳川家康に織田信長の先進性や、豊臣秀吉の大胆さがあれば、もしかしたらもっと早く天下は徳川家康のものになっていたかもしれません。

武将が伝える教訓

とはいえ、最終的に天下を治めることになったのは、徳川家康その人です。長い苦難に耐えながらも着実に実力を付けてきた徳川家康の姿から学ぶべき点は数多くあります。

1:過去の失敗から学ぶ力

「愚者は経験に学び、賢者は歴史から学ぶ」という言葉もありますが、やはり経験から学ぶことは数多くあります。優秀な人はしっかりと失敗を次に生かすことができます。あまりイメージはないですが、徳川家康は若い頃はかなり血気盛んな性格だったよう。三方ヶ原の戦いも、まるで徳川家康が目に入らないかのように武田信玄が領地を素通りしようとしたために、徳川家康が怒り、出兵したことに端を発します。
ここで大敗を喫した徳川家康は、自分のプライドのために多くの被害を受けたことの戒めとして、あの有名な肖像画を描かせたのです。

2:戦いは現場のみならず

晩年の徳川家康の戦いぶりを見ると、戦場での働きよりも、戦に至る動きに特筆すべき点があります。関ヶ原の合戦での友軍確保や、敵武将の調略、戦への誘導などさまざまな事前工作があります。大坂夏の陣でも大坂冬の陣終了後、大坂城の堀を埋めるなどの工作をしています。セキュリティ担当者にとってみれば、これは部内調整といえるかもしれません。新しいシステムの導入や、チーム内のエンジニアの研修申請など、体制をしっかり整えることは外部の脅威と戦うことと同じくらい、重要なことです。

自分の所属する企業が、約260年間続く江戸時代という太平の世のように、平穏に過ごすためにも、徳川家康から安定した組織運営の姿を学びましょう。

※ コラムは筆者の個人的見解であり、日立システムズの公式見解を示すものではありません。

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