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番外編 「信州松代藩財政再建の立役者」 ~恩田木工~

恩田木工

信州松代藩家老・恩田木工(おんだもく)が、疲弊した藩政の立て直しに着手したのは江戸中期の宝暦7年(1757年)。木工の政治手法は、人間の相互信頼の回復、誠実の追求であり、意識改革であった。

当時、財政再建といえば全国いずれの藩でも倹約と増税。松代藩も藩士の給与半減(半知借上)が常態化し、農民には翌年、翌々年の年貢まで前納させるほどだった。しかし藩重役の無策に加え汚職がまん延するなかでの重税は、為政者への不信と不満を鬱積(うっせき)させるだけだ。松代藩では藩士足軽の出勤拒否(今でいうストライキ)という前代未聞の騒動や一揆が頻発した。木工が藩政改革を命じられ、勝手方御用兼帯(財政統括職)に就いたのは、藩全体がそうした無気力なえん世気分に覆われた時期であった。

政治の要諦は「民、信なくば立たず」、よって、まずは「隗より始めよ」である。

木工は身内を集め「今後、自分はいっさい虚言を吐かない。食事は一汁一菜、衣服は新調せず木綿とする。妻とは離婚し、子供は勘当、雇い人は解雇、親戚とも縁を切る」と宣言。「家族や親戚の者が虚言したり、ぜいたくな暮らしをしていては木工も同じだと思われる。これでは改革はできない、だから義絶する」と言い渡した(『日暮硯』*1)。領民に耐乏生活を強いる立場にある者は、率先して身をつつしまなければならない。役目が果たせなければ切腹するほかない。「おまえ達にもその覚悟があるか」と問うたのだ。家族ら得心し、今後は木工に倣って質素倹約を誓った。

次に藩士の半知借上をやめてヤル気を引きだし、会計制度の整備と財政帳簿の管理と倹約を徹底させ、不正は厳しく処断した。領民には、税の前納の廃止と滞納分を免除する半面、先納分は返還せず、以後、月賦納入とし滞納は許さないことなど定めた。木工は、それらを一方的に告知したのではない。
領民と直接対話し、諄々(じゅんじゅん)と説きながら、合意を積み重ねていったのである。

民衆は為政者の人間性や力量を直観的に、あるいは本能的に見抜く。そこに不潔不浄を嗅ぎとれば拒絶し、本気と覚悟を読み取れば信頼し追随する。

木工が指揮した藩政改革は、41歳から宝暦12年(1762年)正月に46歳で急死するまでの実質わずか4年。その間、財政の劇的な改善はなかったが、木工が拓いた道筋は明和3年(1766年)ごろから、再建の兆しを表わし始めたのだった。

同時代の松代藩士・小松成章は「恩田木工は近世の賢臣というべし。上を敬い下を恵みて、仁徳深かかりければ、一人もこの人を悪(あし)ざまにいう者なし」と記し、木工が重病にかかったと知れば「国民(くにたみ)歎きわずらい、我も我もとつどい集まり日待(ひまち*2)という事をして本復を祈りける」と伝えている。

民衆は、恩田木工に清潔と誠実を確信し、藩政改革に手を添えたのである。

信州松代藩財政再建の立役者、恩田木工の仁徳深い政治手法は、今のBizスタイルにおいても通用する手法ではないだろうか。

*1
日暮硯(ひぐらしすずり)=恩田木工の藩政改革の事績を筆録した著書。
*2
日待(ひまち)=心身を清め、寝ずに日の出を待って祈ること。

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