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戦国武将に学ぶBizスタイル

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第24回 「向こう傷と撫民の武将」 ~北条氏康(ほうじょう うじやす)~

北条氏康

伊勢新九郎(北条早雲)を祖とする北条氏は戦国争乱の時代に五代百年にわたって関東に君臨した。その中興の雄が三代北条氏康である。甲斐の武田信玄、信濃の上杉謙信と三つ巴の、また駿河の今川義元とも四つ巴の熾烈な戦いを演じて一歩も退かず、領国経営においては撫民(ぶみん)を要諦とする文武兼備の名将であった。

武人氏康の戦国舞台への登場は天文15年(1546年)、家督を継いで5年目、32歳の春。関東管領の上杉氏(上杉憲政、上杉朝定)と古河公方の足利氏(足利晴氏)の連合軍を破った河越の戦い、世に言う「河越夜戦」である。

河越城を包囲した敵兵8万に対し、支援に駆けつけた北条側はわずか8千。彼我の兵力差は歴然。氏康は、河越城の返上と降伏を申し出て油断させたうえ、夜陰にまぎれて急襲した。連合軍は兵力で圧倒しながら寄り合い所帯だ。相互の連携がとれず、混乱のうちに敗走。上杉憲政は越後の長尾景虎を頼り、北条征伐を条件に関東管領職と上杉姓を譲る。景虎は上杉謙信と名乗り関東に侵攻。以来、氏康は謙信、信玄そして義元との間で戦国期最大の抗争を繰り返すことになる。河越夜戦は、織田信長の桶狭間、毛利元就の厳島と並び、戦国史の三大奇襲戦といわれる。

氏康は生涯36度の合戦で、常に先陣で刀をふるって背を向けず、ために顔面に二カ所、身体に七カ所の刀傷を負う。諸将はその向こう傷を“氏康傷”と呼び、武勇と胆力を怖れ、そして称えた。乱世は人物を輩出し、時代が人を育てる。

文人氏康の民生手腕も卓越している。家臣の役高を記帳した「所領役帳」を作成して国力を正確に掌握。また領内に10の支城を配し国防を整備した。主城の小田原城は難攻不落の惣構えで、謙信も信玄も攻めきれずに撤退したほど。さらに検地の徹底で税制を簡素に改革、早雲以来の四公六民を堅持して領民の疲弊を防いだ。

経世の基本理念は初代早雲の遺訓(というより教戒状)「早雲寺殿二十一箇条」で貫かれた。第五条にいう「心を素直にまた柔和にもって正直を憲法とし、上の者を敬い、下にいる者を憐れみ…」とする上敬下愛の心持ちである。

氏康も子の氏政(四代目)に「下の功労を偸(ぬす)まざれ」と諭している。己れの功名は誇らず、配下の働きを誉めよ。人は、自分を正当に評価してくれる先に集うものだ。上が下の功を独占すれば(盗めば)人の心は離れ、組織は崩壊する、と。

創業守成(そうぎょうしゅせい)―創業は易く守成は難し。新規に事業を興すことは難しいが、その事業を維持し発展させることはさらに難しい。氏康はこのことを十分にわきまえ、初代早雲を敬愛し、北条氏を関八州の王の座に導いたのである。

のちに関東入りした徳川家康は氏康の「創業守成」の実践を称賛し、内政の多くを踏襲した。そのことが十五代264年に及ぶ徳川治世の基になったともいわれる。
武将北条氏康を評する言葉は「文を表にし、武を裏にす。刑罰清らかにして遠近服す。まこと今代天下無双の覇王なり」(*)が最もふさわしい。この文武一体のリーダーから学ぶものは、今のBizスタイルにおいても多いのではないだろうか。

*
京都南禅寺の僧、東嶺智旺の評。「氏康は表裏(文武)一体で、治世は清く、よって皆々が心酔する人物」。

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