ページの本文へ

Hitachi

株式会社日立システムズ

戦国武将に学ぶBizスタイル

戦国武将の知恵や創意工夫、意外なエピソードなどをご紹介!

第14回 「最初の戦国大名」 ~北条早雲(ほうじょうそううん)~

北条早雲

北条早雲(伊勢新九郎盛時)は、斎藤道三、松永久秀と並ぶ梟雄(きょうゆう)と史家は言う。梟雄(きょうゆう)とは「残忍で強く荒々しい、悪者などの首領」。しかし、早雲の生涯を眺めて、殺伐とした血の匂いはしない。

生きざまを表現するなら、破壊者としてより、むしろ強く勇ましい「梟勇」の呼び名こそ似つかわしい。

早雲の名が歴史に登場するのは、駿河今川氏の守護代として富士下方12郡を所領に興国寺城主となった長亨元年(1487年)。この時56歳(32歳との説も)。時代は「応仁の乱」(1467年)を機に中世の秩序が崩壊し、群雄らが新たな覇権をめざして下剋上にうごめく一大転換期。早雲の鋭敏な嗅覚はそこに人生の勝機を捉えた。

明応2年(1493年)、室町(足利)幕府の弱体化と内紛に乗じて伊豆を襲い(伊豆討ち入り)、堀越公方(足利茶々丸)を追放して戦国大名に名乗りを挙げる。この時、61歳。この伊豆討ち入りが、その後100年におよぶ戦国時代の幕開けとなった。

戦国乱世では、武力と器量と人心を掌握できる者のみに覇権の道が拓かれる。
早雲は伊豆国の経営に当たって、まず税負担を五公五民から四公六民(*)に改め、雑税や公役も廃止。農作不良の年は低利で穀類や資金を貸し出し、風土病対策に投薬を施した。さらに不義不正を働く地頭(徴税役人)がいれば訴え出よ、その者を追放する、とまで定めている。

早雲が何より民生の安定を優先した理由は、若年時に遭遇した「応仁の乱」にある。「日本国はことごとく将軍(足利義政)の命令を聞かない」(興福寺僧侶・尋尊)という騒乱を目の当たりにし、政治の乱れは人心を惑わし、民衆の信頼を失った為政者は滅びる。人心を掌握するには民衆の実情に通じていなければならない。前半生の体験から、これこそが治世の根本だと自得したのだろう。

家訓「早雲殿二十一箇条」の14条に「上下万民に対し、一言半句にても虚言(そらごと)を申すべからず。かりそめにも有(あり)のままたるべし。そらごと言つくれば、くせになりてせらるるなり。人にやがて見限らるべし。人に糺(ただ)され申ては一期の恥と心得べきなり」とある。この家訓は、戦国大名の分国法(領国経営の基本法)の祖形になったといわれる。

早雲は、伊豆守や相模守といった官位(官途受領名)を希望しなかった。朝廷公家や幕府政治は崩壊しつつある。関東に新国家を構想する早雲にとって、血筋や家柄など意味も意義もない、官位はもはや無用の長物でしかなかったのだろう。

北条氏はその後、関東のほぼ全域を版図に、五代約100年にわたって戦国舞台の主役を演ずることになる。

北条早雲、戦国乱世の一大転換期に、先ず民生を安定させることで覇権の道を拓いた「最初の戦国大名」から学ぶものは、今のBizスタイルにおいても多いのではないだろうか。

*
その年の収穫高の四割を年貢として納め、六割を農民の所得とする。当時は、五公五民や六公四民が当たり前だった。

目次に戻る

お客さまの経営課題に役立つ商品やソリューショを、導入事例やセミナー・イベントなどでもご案内しております。

  • 商品・ソリューションを見る
  • 導入事例を見る
  • セミナー・イベントを見る

戦国武将に学ぶBizスタイル

メールマガジン

最新のイベント情報、商品情報など、お役立ち情報をご紹介するメールマガジンをお送りしております。

メールマガジン登録

  • Webから直接、クラウドサービスの注文・導入ができるオープンクラウドマーケットプレース

データセンター紹介ページへ

データセンター紹介
ゆるぎない信頼のパートナー 日立のデータセンター

ハイパーダイヤの専用サイトを別ウィンドウで表示します。

交通のことならハイパーダイヤ
乗換案内・路線情報検索サイト。英語・中国語にも対応。

日立システムズの
Microsoft®ソリューション
Microsoft®との力強い協力体制で、お客さまのソリューションを支えます。

日立システムズは、システムのコンサルティングから構築、導入、運用、そして保守まで、ITライフサイクルの全領域をカバーした真のワンストップサービスを提供します。