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戦国武将に学ぶBizスタイル

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第11回 「残念な武将」 ~明智光秀~

明智光秀

老阪(おいさか)は西に去れば備中の道。鞭(むち)を揚げて東を指せば天なお早し。吾が敵はまさに本能寺に在り(頼山陽『日本楽府』)。天正10年(1582年)6月2日早暁、明智光秀は織田信長を討った。謀叛の動機は諸説あるが、光秀には為政の強い意志と覚悟が薄弱だった。それ故に挫折も早く、11日後に無残な最期を遂げる。

弑逆(しぎゃく)の動機は、天下取りの野望か、信長への怨恨と恐怖か、足利幕府再興か、あるいは黒幕による陰謀か。時は実力闘争の戦国乱世、正か邪か、善か悪か、ではない。討たれた信長の油断であり、負けである。だからこそ「是非に及ばず」を末期の言葉に、信長は自刃した。

ただ、事変後の光秀の行動はあまりにも杜撰(ずさん)だ。信長側の反撃に対する軍事的備えも、味方の糾合という政治的備えも、つまり最終勝利に向けた的確な手が打たれていない。

長年の盟友であり、最強の与力と期待した細川藤孝に宛てた書状に「味方してくれれば摂津国を与える。それが不服なら但馬と若狭も望み通りにする」と見返りを示し「天下統一の事業を二人で成し遂げよう」と誘っている。そして「この謀叛は忠興(藤孝の嫡男)を取り立てるのが目的で、50日から100日で近畿を平定したら忠興と十五郎(光秀の嫡男)に譲って引退するつもりだ」と書いている。

指示命令とすべき文面は、なさけないほど懇願調で弱々しい。そこに勝者の高揚も覇気も感じられず、天下経営の不退転の覚悟が見えない。覚悟のないところに共感の裾野は広がらないものだ。藤孝は「信長公の御恩深く蒙りたれば剃髪して多年の恩を謝すべし」として味方要請を拒絶。山岡景隆も同じ理由で拒絶したうえ、重要拠点の瀬田大橋を破壊して遁走。組下の筒井順慶は面従腹背で、水面下では秀吉に通ずる保身ぶり。高山右近も動かず、各所に放った檄文(げきぶん)は空回りするだけだった。世間は光秀の展望の暗さを見抜き、早々に見限ったのである。

有職故実(ゆうそくこじつ)に通じ、和歌や茶をたしなむ教養人であり、行政官僚としても優秀な光秀ではあったが、人の心が読めない、人間の感情に鈍感という、秀才にありがちな欠点をぬぐいきれなかった。所詮、天下を統べる器になく、世知に長けた秀吉に討たれたのも当然の成り行きだった。

光秀の謀叛の決意は「一夜たりとも天下を心ゆくまで楽しんでみたい」(川角太閤記)であった。夢は頓挫したが、結果として徳川の治世をもたらし、江戸期の260年に熟成した文化、風俗、習慣は、現代日本人の思考様式に濃い影響を与えている。平成日本の起点は430年前の「本能寺の変」にあるのかもしれない。
これも歴史の面白さであり不気味さだろう。明智日向守光秀、この天下を目の前にしながら覚悟が見せられず、共感の裾野を広げられなかった「残念な武将」から学ぶものは、今のBizスタイルにおいても多いのではないだろうか。

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