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戦国武将に学ぶBizスタイル

戦国武将の知恵や創意工夫、意外なエピソードなどをご紹介!

第7回 最前線で、自ら戦闘力を示す ~徳川家康~

徳川家康

徳川家康の「しかみ像」。表情に“恐怖”が貼りついている。飛び出さんばかりに開いた両目、こけた頬には動揺を抑えるように手が添えられ、むき出しの歯が唇を強く噛みしめている。武田信玄との戦いに敗れた直後の、屈辱の姿を絵師に写させたものだ。家康は晩年に至るまで、折に触れてこの画を眺め、慢心を自戒したという。成功譚(せいこうたん)より、むしろ自他の失敗や挫折に学び、教訓として生きた武将であった。

家康の生涯でもっとも重大な意味をもつ合戦が、「三方ケ原の戦い」といわれる。

1572年(元亀3年)、家康軍1万人に対して武田軍は2万5千人。兵法の定石に従えば、野戦を避けてろう城すべきだ。が、老練な信玄の挑発に乗せられ、31歳の家康はおびき出されるように出撃、結果は大惨敗。死の寸前に家臣に救われ、命からがら浜松城に逃げ戻った。「しかみ像」はそのときの緊張と恐怖の極みであった。敗残(はいざん)の不様(ぶざま)な姿を描かせた武将は、後にも先にも家康しかいない。

家康の非凡は、この敗戦経験から多くを学んだことである。己の未熟さはもとより、兵法の何たるか、情報戦、組織戦そして自制の大切さを。後に、信玄の戦法を活かし、「小牧・長久手の合戦」で秀吉軍をりょうがし、天下分け目の「関ヶ原の合戦」に勝利し、徳川治世260年の契機とした。

さらに、三方ケ原の戦いでのこと。徳川軍の討死者は、武田側に向いた者は皆うつ伏せで、浜松の方面に向いた者はあお向けだったという。これは敵に後ろを見せて死んだ者はいなかったことを意味する。戦国の武士は勇敢ではあるが道義の念は薄く、裏切り、寝返りが当たり前だったが、家康は三河武士の厚い忠誠心に救われた。家臣を大切に扱うようになったのも、三方ケ原敗戦からだ。

大将は、最前線で自ら戦闘力を示さなければ部下はついてこない。武巧には実利で報いなければならない。家康は「宝の中の宝というは家臣にしくはなし」と言い、「一軍の将たる者は、味方諸人の、盆の窪(ぼんのくぼ)ばかり見ていて、勝てるものにてはなし」と戒めた。大将が兵の窪(首の後ろの、くぼみ)ばかり見て、つまり、前戦に出ずに後方で口先だけの采配をしていては戦いに勝てない、と諭している。

ただ後半生の家康には、織田信長の覇気も、豊臣秀吉の才気も、ない。自制が効きすぎた無感情人間のようでいささか面白みに欠けるが、家康が失敗に学び、あるいは自得したものは、今のBizスタイルにおいても通用する生き方ではないだろうか。

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