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幕末の志士から学ぶ教訓

【第8回】激動の日本を縦横無尽に駆け抜けた改革のキーマン・坂本龍馬

日本海軍の創始者・勝海舟に学び、薩長同盟や大政奉還など、歴史の転換点に大きく影響した幕末の英雄、坂本龍馬。今回は、その生涯と人物像に迫ります。

坂本龍馬の生涯

攘夷、討幕、開国など立場の違いを超え、さまざまな幕末の要人たちと交流し、明治維新に大きな功績を残した坂本龍馬。その知名度とは裏腹に、輝かしい歴史舞台の主役になることは多くありませんが、歴史が大きく動くできごとの裏には必ずその存在が語られる、幕末のキーパーソンです。

坂本龍馬の生まれは現在の高知県である土佐藩、その下級武士の家に生まれます。史実では定かではありませんが、幼少期は気が小さく姉である乙女に助けられ、また怒られていたというエピソードが有名ですね。そんな坂本龍馬も、青年期には江戸に剣術修行に出ており、北辰一刀流の目録を授かるほどになります。この江戸遊学中にペリー来航を目撃したことで、その後の龍馬の行動が大きく変わっていくことになります。
その後一度土佐に戻った龍馬ですが、その後脱藩し、再び江戸へ。このとき、生涯の師となる勝海舟に出会います。その後は勝海舟とともに神戸海軍操練所の設立に向けて奔走します。

勝海舟の軍艦奉行罷免に伴い、神戸海軍操練所が閉鎖されると、薩摩藩に身を置き、その援助を受けて後の海援隊となる亀山社中を設立。薩摩と長州の貿易を仲介しています。この実績が後の薩長同盟に大きく寄与することに。
薩長同盟締結後は、後の五箇条の御誓文の素案にもなったと言われる船中八策を考案し、薩土同盟にも関与するなど、時代の変化に大きな影響を及ぼしていきます。
しかし、新時代の幕開けが目前のタイミングで、京都近江屋で凶刃に倒れてしまうことに。

エピソードで見る坂本龍馬の人物像

自分の興味の赴くままに、縦横無尽に駆け抜ける…坂本龍馬のイメージはこんな感じではないでしょうか。

たしかにそのような面もありますが、それだけでは大きな話はまとまりません。薩長同盟の際には、事前に薩摩と長州の密貿易を援助するなど橋渡しをしているほか、船中八策による大政奉還についても土佐藩のメリットをしっかりと提示しています。
利をもって自分の意見を通す部分は、いかにも商人然とした気概が感じられます。

柔軟な思考による大胆な発想が魅力ではありますが、一方で株式会社を設立した貿易商としての緻密さも見逃せません。海援隊の帆船いろは丸が沈没した事件では、相手側の紀州藩に対し、法律に基づいて細かな賠償請求などを行っています。もしかしたら数々の偉業も、日本にとっての損得を緻密に勘定した結果、生まれていたのかもしれません。

坂本龍馬の成功と失敗から学ぶ教訓

まさしく龍が如く縦横無尽に変革の日本を躍動した坂本龍馬。その人生から学ぶべき教訓とはいったいどのようなものでしょうか。

1:コミュニケーション能力を活かした幅広い人脈づくり

坂本龍馬がこれだけ縦横無尽に動けたのは、人好きとされるコミュニケーション能力の高さが要因の一つと言えるでしょう。攘夷派としては長州の久坂玄瑞や高杉晋作、同じ土佐藩では武市半平太と、それに相反する後藤象二郎、さらには幕府方の勝海舟や、自身の主君である山内容堂など目上の人間にも目をかけられています。さまざまな立場・思想の人と知り合うことで多方面での活躍ができたのではないでしょうか。

2:ときには周囲を顧みることも…

一方で周囲を振り回す部分も。自分が「これだ!」と思い込んだものに一直線な坂本龍馬は、攘夷論から開国論へと思想を変えています。また、土佐勤王党を抜け、脱藩してしまうなど、周囲を置いてけぼりにしてしまうところも。それでも嫌われないのが龍馬らしいですが、現代ではしっかりと了承を取ったほうがよいでしょう。

コミュニケーション能力をもって広げた人脈も、上手に使いこなさなくては逆に多くの敵をつくってしまうことにもなりかねません。幅広い人脈に振り回されることなく、自然に気遣いができてこそ、困ったときに助けてくれる財産になるでしょう。

株式会社ライトアップ監修

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