ページの本文へ

Hitachi

株式会社 日立システムズ

幕末の志士から学ぶ教訓

【第3回】先見性に優れた軍艦奉行!日本海軍の創始者・勝海舟

列強の時代に海軍による活路を見出し、西郷隆盛や坂本龍馬などの思想にも影響を与えたと言われるほど先見性に優れた幕臣・勝海舟。今回は、その生涯と人物像に迫ります。

勝海舟の生涯

早くから蘭学・兵学を習得し、黒船来航以前から西欧列強の脅威に対処する術を模索していたほど、先見性に優れていた幕臣・勝海舟。その思想や知識は深く、あの坂本龍馬や西郷隆盛といった維新の英雄にも大きな影響を与えています。幕末はどうしても維新側がクローズアップされがちですが、スムーズな政権交代の裏には勝海舟の存在が大きかったと言えるでしょう。

そんな勝海舟の生まれは江戸両国。まさにイメージ通りのチャキチャキの江戸っ子。しかし、家柄は無役の旗本で、とても貧しい生活を送っていたと言われています。若かりし日は剣術修行と合わせて蘭学を修め、このときにオランダ語の辞書を2部筆写しています。また、このときに佐久間象山の知遇を得て兵学も修め、蘭学・兵学の私塾を開いています。
表舞台に登場するのは黒船来航後のことで、幕府に対する上書が老中・阿部正弘の目に留まり、幕政に参加するようになります。その後は長崎海軍伝習所、咸臨丸での渡米を経て、海軍創設に向け、奔走しました。

その後、一時政変に巻き込まれ不遇のときを過ごしますが、徳川慶喜が将軍職に就くと再び表舞台へ。最終的には陸軍総裁にまで抜擢され、大政奉還、江戸城無血開城などを成し遂げます。明治維新後は幕臣とあって数々の要職を歴任しますが、新政府に馴染めず辞退するなどしています。一方で徳川慶喜の赦免に奔走し、明治天皇との謁見まで成し遂げました。

エピソードで見る勝海舟の人物像

外国勢力の圧力を受けはじめた日本において海軍の創設に奔走するなど、率先して幕府の欧米化を推進した勝海舟。時代を先読みし、新たな可能性を見出す才能があったと言えるでしょう。

たとえば、蘭学や兵学を短期間で修めたほか、海軍の創設を説いたことは良い例。今後の驚異は海から現れることを予見し、幕府ではなく広く諸国から人材を募る「日本の海軍」の創設をめざしています。政権を奪われる幕府側の立場にあって、この発想は驚くべきこと。こうした自由な発想が西郷隆盛や坂本龍馬の心を掴んだのかもしれません。

徳川慶喜の助命嘆願しかり、自身の目的を遂行するためには心血を惜しまない勝海舟ですが、一方で江戸っ子気質のせいか、政治工作のような緻密な活動は苦手。
また、閑職時代の仕事は投げやりだったり、明治政府での役職に消極的であったり…と、自身の興味のない事柄に関しては、一転してやる気が見られないなど、むらのある気質もあったようです。

勝海舟の成功と失敗から学ぶ教訓

自由闊達な人柄と、鋭い先見性が魅力の勝海舟。その人生から学ぶべき教訓とはいったいどのようなものでしょうか。

1:“鈍感力”

自身が「世の中に無神経ほど強いものはない」と語っているように、世の中の大勢に流されずにわが道を進む、空気を読まない部分は、事をなす上では大切な素質。変革を迎える際、たとえ正しい考えでも最初は少数派であるもの。ときには自分の意見が間違っているかのように感じてしまうこともあります。周囲の意見に惑わされず、自分の意見を貫きましょう。
勝海舟が幕臣でありながら、明治政府でも活躍できた理由は、ここにあるように思います。

2:周りへの働きかけも必要

西郷隆盛や坂本龍馬への影響を見るに、親しいものへの影響はあるものの、勝海舟は政治的な影響力は少ないようです。政治の中心が勝海舟の意見に近い場合は重用されますが、それ以外の場合はあっさりと閑職に追いやられています。卓越した知識があるだけに、それを活かせる場を自分で作り出せる戦略も、ときには必要でしょう。

時代を先読みする力はとても重要なスキルですが、それを認めてもらう努力をしなければ遅きに失してしまう場合もあります。いつか分かってくれる、ではなく、その力を認めてもらえるように行動すると良いでしょう。

株式会社ライトアップ監修

クイズページへ

 

日立システムズは、システムのコンサルティングから構築、導入、運用、そして保守まで、ITライフサイクルの全領域をカバーした真のワンストップサービスを提供します。