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幕末の志士から学ぶ教訓

【第2回】冷静沈着な名宰相!日本近代化の父・大久保利通

薩摩藩で西郷隆盛とともに維新を成し遂げ、明治政府では初代内務卿として実権を握った、日本近代化の父・大久保利通。その生涯と人物像に迫ります。

大久保利通の生涯

西郷隆盛・木戸孝允(桂小五郎)と並んで“維新三傑”と称され、維新後は実質的に日本のリーダーとして辣腕を振るった大久保利通。西南戦争では幼馴染の西郷隆盛を追い詰めたことに象徴されるように、冷静沈着で精緻な戦略はときに冷たいイメージをもたれがちです。しかし、自身の犠牲もいとわずに献身的に近代日本を創り上げる道筋を整えました。

大久保利通の生まれは、薩摩藩の下級藩士の家。幼い頃から体が弱く、武芸に秀でることは難しかったために、勉学に励み、討論などを得意としていたそうです。お由羅騒動などを経て、島津家29代当主忠義の父、久光の元で徐々にその能力を発揮しはじめます。
世の流れが尊皇攘夷に傾くと、活躍の場はさらに広がることに。久光と不仲だった西郷隆盛を表舞台に引き上げると、西郷隆盛のリーダーシップのもと、優秀なブレーンとして明治維新を成し遂げる原動力となっていきました。

維新後は西郷隆盛や木戸孝允、岩倉具視らとともに政治を主導。岩倉使節団として外遊する傍ら、廃藩置県や版籍奉還など大きな改革を成し遂げます。西南戦争の鎮圧後は初代内務卿に就任し、「富国強兵」をスローガンに徴兵令や地租改正、殖産興業政策を推進するなど、近代日本の礎をつくりました。
しかし、急速に変化する流れに置き去りにされた不平士族の強襲に遭い、明治11年に非業の死を遂げることになります。

エピソードから見る大久保利通の人物像

豊富な知識と冷静な戦略眼を武器に、日本のトップに立った大久保利通。

しかし、私利私欲に溺れることはなく、新しい日本のために尽くしました。それを証明するように、大久保利通は死後、預金がほとんどなく、現在の価値で1億円以上にのぼる債務があることが判明しています。これは、大久保利通自身が改革を進める中で、改革に必要な資金を自身で賄ったためのもの。まさに滅私の気持ちで国に尽くした政治家と言えるでしょう。
国の金を無駄遣いしていると糾弾され、暗殺された大久保利通ですが、近い人物にはその気持ちが伝わっていたよう。そのため、死後に債権を取り立てるものは現れなかったと言われています。

大久保利通の活動は確実に日本の成長に寄与していたものの、その冷静な政治手腕はときに冷たく捉えられがちです。中でもともに維新を成し遂げた西郷隆盛が西南戦争を起こした際、いち早く討伐軍を派遣したことは多くの反感を買うことにつながり、暗殺の原因にもなってしまいました。征韓論で西郷隆盛らと対立したことも然り、あまりにも真っ直ぐな思いがときに不幸を招いてしまうこともあるようです。

大久保利通の成功と失敗から学ぶ教訓

常に冷静沈着で、強い信念を持って行動するリーダーである大久保利通。その人生から学ぶべき教訓とはいったいどのようなものでしょうか。

1:自己PRも大切!

どれだけ優秀な人材でもアピールする力がなければ埋もれてしまいます。特に戦術家タイプは自己主張が苦手な人も多いもの。しかし、大久保利通は自身が出世をするために、島津久光に対し、本を献上し、その本に自身の政治論を記載したしおりを挟むことで、上司に印象付けを行っています。

2:ときには正論よりも人情を。

改革を急ぐあまり、幼馴染と対立し、多くの恨みを買ってしまった大久保利通。急激な変化には反感を抱く人もつきもの。時間が許すのであれば、ときには立ち止まり、相手の意見を吸い上げる努力も必要です。あるいは幕末、西郷隆盛の元で動いたときのように、人望に厚い別リーダーの元で実行するという手もあります。

リーダーにとって目的の遂行力は大切なものですが、多くの人を率いる立場としては、人の気持ちにも寄り添う必要もあります。アメとムチを使い分けるように、上手に周囲を巻き込む術を手に入れましょう。

株式会社ライトアップ監修

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