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幕末の志士から学ぶ教訓

【第1回】類まれなるリーダーシップと政治力を誇った明治の元勲・西郷隆盛

討幕の急先鋒・薩摩藩の実質的リーダーにして、維新三傑にも数えられる英傑・西郷隆盛。
その生涯と人物像に迫ります。

西郷隆盛の生涯

大きな体格に違わない大きな器を持ち、類まれなリーダーシップで討幕を志す志士を率い、明治維新を主導した西郷隆盛。最後は逆賊として西南戦争に散りますが、旧体制を破り、新政府を築き上げた手腕は、維新三傑に数えられるだけの実績があります。

そんな西郷隆盛は、薩摩藩の下級藩士の家に生まれます。家柄は低かったのですが、薩摩藩独自の教育制度・郷中教育の中で次第に頭角を現していきます。なお、このときの郷中仲間には、維新三傑の一人である大久保利通もいました。
その後、お由羅騒動を経て島津斉彬が藩主となると、その才能を見出され、斉彬に伴って江戸に赴き、御庭方という諜報・政治活動に従事する役職に付きます。このときに培った政治力と人脈はあとに大きく役立つことに。
斉彬の死に伴い一時は奄美大島に流刑となりますが、あとに復帰。しかし寺田屋騒動の動きの中で島津久光の不興を買い、再び流刑となります。その後はときの流れもあり、再度復帰。以降は大久保利通らと共に攘夷・討幕の動きの中心人物となり活躍します。薩長同盟や大政奉還、さらには鳥羽伏見の戦いや江戸城無血開城など、重大なできごとを次々と主導し、ついに新政府の樹立を成し遂げます。

新政府の樹立後は一時帰郷したものの政界に復帰。要職を歴任したほか、大久保らが海外視察に出ている間は政府を主導、地租改正などの改革を実現します。しかし、征韓論などを巡って新政府と対立し下野。故郷で私塾を開いていましたが、塾生の暴発により西南戦争へとつながり、最後は逆賊として戦死します。

エピソードで見る西郷隆盛の人物像

古くは郷中教育の場から維新のリーダーとなり、新政府でもリーダーシップを発揮した西郷隆盛。最後は不平士族の中でリーダーシップを発揮することになったのは皮肉ですが、周囲の人を引き込む求心力は天下逸品。その人望を裏付けるエピソードとして、明治政府を下野したときの逸話があります。西郷隆盛を慕い、志を同じくする政治家や軍人たちがなんと600名近くも同時に職を辞したそうです。維新の活躍でいかに人に好かれていたかがよくわかりますね。

その体躯などからも、気は優しくて力持ちというイメージのある西郷ですが、政治活動は意外と冷徹。中でも鳥羽伏見の戦いの原因となった薩摩御用盗に対しては、目的を達成したあとは容赦なく処断しています。また、土佐藩とは大政奉還と討幕、双方の密約を交わすなど、計算高い面も見られます。

西郷隆盛の成功と失敗から学ぶ教訓

人々を包み込む温かさと、苛烈な政治判断を下す冷酷さ、双方を併せ持って改革を断行した西郷隆盛。その人生から学ぶべき教訓とはいったいどのようなものでしょうか。

1:判断力は現場が磨く

西郷隆盛はその政治判断の多くを、将軍継嗣問題に揺れる激動の江戸で学びました。復帰後も活動の最前線に立つことで時代の変化を読み取って動いていました。だからこそ多くの藩士の心を掴み、慕われていたのでしょう。リーダーシップも判断力も現場で磨いてこそ。リーダーの資質を磨くヒントは現場にあるのかもしれません。

2:情に流されすぎない

政治判断としてときには厳しい手もいとわなかった西郷隆盛ですが、自身を慕うものに対しては情に流されてしまう場合もあったようです。西南戦争では塾生をたしなめる立場でしたが、一度起きてしまった火が消えないことを知っている西郷は最後まで塾生たちと運命をともにしています。情はリーダーシップにも必要ですが、強すぎる情は身を滅ぼすことも。

リーダーとなった場合、人に対する情けは必要ですが、なによりも大切なことは正しい道へと導くこと。自分が道を間違えた場合はすぐに謝り、また身内が道を外そうとしていたら諭す力が必要でしょう。

株式会社ライトアップ監修

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