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専門家コラム:人を活かす心理学

【第5回】企業不祥事はなぜなくならないのか

企業不祥事があとを絶ちません。直近の事件では、横浜のマンションに端を発した基礎工事の不正が、全国を揺るがす大問題になっています。時を同じくして、海外では自動車メーカーの不正プログラム装着問題、国内ではさらに大手ゴムメーカーの免震ゴム性能データ改ざんが明らかになりました。このゴムメーカーは3度目の性能偽装とのことで、過去の教訓が全く生かされていないようです。どの不祥事も、いったいなにがどうしてこのような事態に至ったのか、全容の解明が厳しく求められるところです。

あまり続くとつい忘れてしまいがちですが、こうした不祥事は過去にもたくさん発生しており、インターネットで検索すれば驚くほどの数が出てきます。国内だけでなく、たとえば米国巨大エネルギー企業の不正会計処理事件は世界の株価にも大きな影響を与えました。この事件をきっかけに、コーポレートガバナンスの見直しや、不祥事に対する厳しい罰則が法律化されたことは、覚えていらっしゃる読者も多いと思います。

こうした不祥事が生じる原因や過程については、いろいろな分野で多くの分析や研究がなされています。心理学でも、集団が個人の行動に与える影響を探る中で興味深い研究がいくつも生まれています。ここではそうした中から「集団浅慮」と「道徳的束縛からの解放メカニズム」という2つの研究をご紹介しましょう。

集団浅慮

ダートマス大学S.フィンケルシュタイン教授の書「名経営者がなぜ失敗するのか」(
日経BP社 2004)の中で、揺るぎない団結精神や愛社精神の下に全員が自社の行動や目的に自信をもち、社内に問題が感じられないような優良企業ほど、実は腐敗しやすい要因を抱えた危険な企業であるという指摘があります。

これは心理学の面からも解釈が可能です。つまり、まとまりがよく、集団決定に沿って行動しようとする意識の強い集団では、内容についての十分な検討を重ねることなしに決定を急いでしまうことがあります。冷静で客観的な判断よりも、集団としてのまとまりや居心地のよさを維持するように行動してしまうのです。その結果、解決の質が低下し、客観的に見ればおかしな判断や決定がなされてしまいます。心理学者のジャニスは、このような決定傾向を「集団浅慮group think」と名づけました。

ジャニスによれば、集団浅慮は次のような状況で生じやすくなります。

  • 集団のまとまりが強い
  • 外部から孤立していて、事案を検討する過程での意見のチェックや情報提供がない
  • 強いリーダーや有力者がいて、行き過ぎた統制がなされている
  • 時間がない、手がかりが少ないなど、強いストレス下にある

こうした集団状況では、冷静な分析や批判的考察よりも、集団のまとまりを維持することに注意がいってしまい、その結果、十分な検討がなされないままに集団浅慮の状態に行き着いてしまいます。

集団浅慮の症状

集団浅慮は、集団が陥る(おちいる)病理であり、以下のような「症状」が見られます。

力の過信

自分たちの力を過信するあまり、自分たちが失敗するはずがないという思いこみの下に、慎重に対処すべきことにも楽観的な見方が大勢を占めてしまいます。特に、過去にうまく対処できたという成功体験がある場合には、状況が異なっていたり不利な場合であったりしても、冷静に判断することなくその成功体験にすがろうとする傾向が生まれます。

決定の正当化

異論に耳を貸さず、自分たちに都合のよい情報だけを取り込んで、決定の正当化をはかります。危険や警告に対する認識も甘くなります。

強い同調圧力

異を唱えようとするメンバーに対して、決定に同調するよう強い圧力がかかります。そして、集団の雰囲気を壊すような意見や発言はタブー視されるようになります。

自己検閲

その結果、メンバーが自身の発言を控えるようになり、余計なことは言うまい、異を唱えない方が得だという自己検閲の流れが広がっていきます。

全員一致幻想

異議や異論が出なくなるので、誰もがその考えや決定に賛成しているように思え、全員一致の幻想が生まれます。

まとまりへの固執

集団の決定やまとまりに固執するようになり、集団にとって好ましくない意見や考えを抑え込もうとする「お目付役」的な役割をとるメンバーも出てきます。

こうした結果、普通に考えればおかしい、やってはいけないといった感覚が鈍くなり、なぜ内部でこんなことがまかりとおったのかと、首をひねるようなことが出てくるのです。集団浅慮が生み出す症状を見ると、不祥事が起きる過程にあてはまるものが少なくありません。

道徳的束縛からの解放メカニズム

不祥事を起こした企業の幹部がカメラの放列の前でそろって頭を下げる映像が、ニュースでもしばしば流れます。映像を見る従業員やその家族の心情を思うと、本当に大概にしてくれと言いたくなりますし、実際に従業員の仕事へのモチベーションを根本から失わせることにもなりかねません。心理学者のA.バンデューラはこうした不祥事が起きる原因を「道徳的束縛からの解放メカニズム」という視点から研究しています。

バンデューラによれば、人が欲望や衝動のおもむくままに振る舞おうとしたとき、それを抑制する働きとして、社会的に非難を浴びること(「社会的制裁」)へのおそれと、そのような行為が自尊心を傷つけ自責の念を生むこと(「自己制裁」)へのおそれが生まれます。自己制裁は内面的なものであり、社会的制裁のおそれがない場合でも、個人の中で逸脱行為を抑制し、道徳的な束縛を生みます。つまり、自己制裁は道徳基準に合致した行いの指針となり、非倫理的な行為を抑止する「自己調整機能」として働くとバンデューラは考えました。

しかし人は、常に道徳基準に従った行動をとるとは限りません。道徳的な自己規制を自ら外してしまうこともあります。バンデューラはこれを「道徳的束縛からの解放メカニズム」と名づけました。このメカニズムによって、普段は良識的な人々が、さしたる葛藤やストレスを感じることなく逸脱行為を犯すことが可能になります。図は、道徳的束縛からの解放メカニズムを表しています。ここには8つのメカニズムが入っています。たとえば、「道徳的正当化」は、本来は非道徳的、非倫理的な行為であっても、それが価値ある目的に役立つものだから個人的にも社会的にも許容されるとみるのです。

図「道徳的解放からの束縛メカニズム」

経営状態が悪化している状況では、経営陣には、多少無理をしてでも経営が上向きになるのであれば目をつむろうという焦りも出てくるでしょう。そうした中ではビジネス倫理との葛藤も生まれます。やがて、無理を重ねる中で自己調整機能が不活性になり、道徳的束縛からの解放メカニズムが活性化します。その結果、不正行為に対する道徳的正当化が生まれ、結果として不祥事を引き起こすことにつながっていきます。

「不祥事」はそれが明らかになった時点で不祥事と呼ばれるようになります。その中にはさまざまなものがあり、一括りにして論じることはできません。ただ、不祥事にいたる不正は必ず露見します。露見したときの損失の大きさを考えれば、不正に手を染めることは企業や組織にとっては致命傷になることを、経営陣は肝に銘じておかねばなりません。

※ 私たちはバンデューラの理論に基づき、大学生を対象にビジネス倫理に関する実験的な研究をいくつか行っています。その研究ついては、また機会をあらためてご紹介することにします。

※ コラムは筆者の個人的見解であり、日立システムズの公式見解を示すものではありません。

 

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